狒々は熊か
『山海経』に、「狒々、その様、人の顔のようで、唇が長く、黒い体に毛があり、反踵(はんしょう)する(上で言った cross-roll を演ずるように、脚の踵を見る人の方に向けるのだ)。人を見れば笑い、笑えば唇を上げて、その目を覆う」(これは上文のようだ。小生はいつも目撃した)。
『爾雅』に「狒々は人のようだ。髪に被われ速く走り、人を食らう」とあり、たいていよく似ている。食らうとは、怒ればかみつくことだと理解すべきだろう。日本人でシンガポールなどの動物園でこれを見た人はみな、老婆のような熊を見たと語られます。野女などのことに似ている。
コーチ(※ベトナム北部、ソンコイ川流域※)と南康郡(※中国江西省※)に出るとは、その辺へ件の熊に芸を教え、インド、セイロンから持って来たのを支那に伝えたのではないかと存じます(この熊は芸を習うことができます)。またアジア獅子などはただ今ではインドで全滅、ペルシアのはどうであるか知らない。
しかし、有史中にすらギリシア辺にまでいたと申す(スパルタの王家に獅子〔レオニダ〕王族という王族がいて、獅子を殺したことに由来する名だとか)。そのように件の唇熊も古えは後インドから支那南部まで広まっていたのではと存ぜられます。
『方輿志』に、「狒々は西蜀および処州の山中にもまたいて、人熊と呼ぶ。人はまたその掌を食らい、皮を剥ぎ取る。閩中(びんちゅう)の沙県(さけん)幼山にもまたこれがいて、山大人と呼ぶ。あるいは野人および山□(※鬼+肖※)(さんしょう)ともいうのだ」。
これらは、たとえ唇熊のことでなくとも、一種の熊、人のように立つものと存ぜられます。熊が人によく似ているのは、学者間でも、人は猿から出たのではなく熊から出たのだ、という人があることからも知られる。
なお申し上げたいこともあるけれども、小生の書室はこの座敷と建物が別で、夜間ははなはだ都合が悪いので、今夜はやめ申します。