山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳10)

南方熊楠の手紙(現代語訳)

  • 1 山男について
  • 2 山男の冬期の食べ物、燕は日本を去って
  • 2 狒々について
  • 4 唇熊について
  • 5 狒々は熊か
  • 6 広畠氏から聞いた俗譚
  • 7 駝鳥、唇熊
  • 8 ハリセンボン
  • 9 幼少時代、海外遊学時代
  • 10 熊野で
  • 11 神社合祀の弊害
  • 12 大山神社
  • 13 最初に意見書を大臣へ

  • 熊野で

    粘菌
    Red Slime Mold / Bistrosavage

     さて小生は不幸なことがあってやむを得ず英国を辞し、帰朝したのは10年前で、父母その他過半が在外15年間に死に果て、一族一家内にも知らない人の方が多くなっていて、やむを得ず熊野に退き、那智山に寓居すること、前後2年余り、また諸方の山海を探り、主として顕微鏡的な微細生物を集め、ご存知のプレパラートといって顕微鏡標本をおよそ13,4貫目も作り、また菌類をひとつひとつ彩色画にし解説を付したものは数千葉ある。

    我ながら人間の精力もよくつづくものと感心します。このうち今日までようやく一部分調査が済んだのは、粘菌 mycetozoa と申し、動物とも植物ともわからぬ微細の生物で、世界中に250種未満あるものを、小生の発表以前には本邦からは18種しか知られていなかった。

    それを小生が3年前に東京植物学会の雑誌で発表したときは74種まで日本にあることを知りました。その後も十津川熊野でいろいろ見出し、ただ今はすべて100種ばかりを見出しています。(紀州および十津川で82種ばかりを小生が見出したのだ。なかに新種が2,3あります。)

     粘菌のごとき種数の少ない一群すらこのようなので、藻、菌、地衣、苔、蘚などの種類広大な諸群について、小生が紀州および十津川で見出した数は莫大なものでございます。たとえ小生の発見の新種でなくとも、世界中に植物分布の学問をなすのに、はなはだ益のあることでございます。

    この他、小生は少しも熱心には行なっていないが、上等植物においても従来四国、九州、また琉球、または熱帯地方にのみ産すると思われたもので、紀州にあることを発見したものも多いです。たとえば Wolffia と申し、これほどの植物で、世界の上等顕花植物中最小のものと称するものなど、台湾にはあるが本州にあるのは知られていなかったが、小生は紀州和歌浦の東禅寺と申す寺の古い手水鉢のなかから見出しました。

    テッポウシダと申す羊歯なども、従来台湾の産と知られていたが、小生が熊野で見出しました。その他、小生の専門ではないが、前日、大学の牧野富太郎氏に名を鑑定してもらったなかに、紀州から初めて知られたものが多い。

    下等植物の命名は我が国ではあまりよく出来ません。ゆえに多くは海外へまわし調査してもらっている最中である。しかし、標本の数が多く、人間に暇が少ないため、ややもすれば事が凝滞し、なかなかちょっと済むはずもない。

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    「山男について、神社合祀反対運動の開始」『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫)所収。

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