冬期の山男の食べ物、燕が日本を去ってから
山の神がオコゼを好むということの答えは、ほぼ見出しました。これはそのうちまた『人類学会誌』へ出しましょう。
御下問の山男の冬期の食べ物のことは小生は今まで聞いたことはありません。しかしながら、冬期は山中に樫の実が多く落ちて積もっていて、オシドリが群れてこれを食うのが奥山(熊野十津川など)の常です。
またご存知の通り、猪、鹿、その他諸々の獣は冬期がことに美味でよく肥えていて、夏期に食えるものは深山の動物にはありません(『大和本草』に諸々の鳥のなかで鶯のみ夏食うことができるとあったように記憶しております)。現に前便で申し上げました兵生の松若と申す山男は、雪中に足跡を見たものがあると申し伝え、猪、鹿、諸獣を生け捕りして食う調味のため、小屋へ塩を乞いに来たと申し伝えます。
また御下問の燕が日本を去って後のことは、小生は一向に存じません。'Nature'雑誌に 、鳥が冬夏に従い去就するのは食事のためよりも主として日光の加減によるということ、数年前に論じた人がいます。その'Nature'は今もこの家に蔵していますが、ちょっと見つけられません。
小生の知るところでは、ただひとつ例のボスウェルの『ジョンソン伝』に、ジョンソンがこのことを論じて、燕は冬に先立って群飛して集団をなし、水底に潜み春が来るのを待つ、と論じたことを知っています。
スウェーデンの古えの漁人は燕を水底から網で得たことを記し(オラウス・マグヌスの記に出ている)英国のギルバート・ホワイトの状にも、燕は時として水中に蟄するといい、『酉陽雑俎』には、燕は竜と縁があり、井中に蟄する、と言っている。
このことは十余年前、仏国の雑誌 'L' Intermediaire' で論じた人がいる。胡燕と越燕とを混同したことに起こったことだと言っていた(この田辺辺にもこの2種がある。胡燕は村部へ来ても市街には稀であるとのこと)(前者は英語martin、後者はswallow)。
小生は「燕石考」と題し、燕のことを長々しく書いたものがあり、その中にこのことを載せておきました。そのうち何かで出版いたしたく存じます。『竹取物語』の燕の子安貝のことを論じていて、前年小村伯より畏きあたりへ献じた英人ディキンズの『日本古文』にもちょっと引用されております(『日本古文』は、小生が那智に籠っていたいたときに、氏の嘱によりこれを校正し、所々に小生の註が入り、また小生の著を引き写したところも多い)。
しかし、燕が日本を去ってどこに行き、何ごとをなすのかは調べたことがありません。この田辺辺では常世の国に行くと申し伝えます。
常世の国を村部では訛ってトチワの国と申します。「大和万歳トコヨのツバメ」(下の句は忘れました。秋に去って春に来るという意味を述べたものです)という俗謡があります。
上の文の山男は(羅山の記した)小生らのいわゆる山男とは、大いに違い申します。古木怪をなすの類と思われます。
拙妻の話に、山男は体が苔むしていると言うのを思い出して書き付け申しました。