(蛇の変化5)
仏典に名高い賢相大薬の妻毘舎女、美貌智慧併に無双たり。時に北方より五百商人その国へ馬売りに来り、都に名高き五百妓を招きスチャラカ騒ぎをやらかしけるに、商主一人少しも色に迷わず、夥中最も第一の美妓しきりに誘えど、〈我邪念なし、往返徒労なり〉と嘯いたとは、南方先生の前身でもあったものか、自宅によほどよいのがあったと見える。かの妓躍気で、君は今堅い事のみ言うが、おのれ鎔かさずに置くべきか、していよいよ妾に堕された日は、何をくれるかと問うと、その場合には五馬を上げよう。
もしまた当地滞留中いささかも行いを濫さなんだら、和女われに五百金銭を持って来なと賭をした。それからちゅうものは前に倍して繁く来り媚び諂うに付けて、商主ますます心を守って傾く事なし。諸商人かの妓を気の毒がり、一日商主に城中第一の名代女の情に逆らうは不穏当と忠告すると、商主誠に思召ありがたきも昨夜夢に交通を遂げた。この上何ぞ親しく見ゆるを要せんと語る。
かの妓伝え聞いて、人足多く率い来て商主に対い、汝昨夜われとともに非行したから五馬を渡せと敦圉き、商主は夢に見た事が汝に何の利害もあるものかと大悶着となって訴え出で、判官苦心すれど暮に至るも決せず、明日更に審査するとして大薬その家に還ると、毘女何故晩かったかと問うと、委細を語り何とか決断のしようがないかと尋ねた。
毘女其式の裁判は朝飯前の仕事と答えて夫に教え、大薬妻の教えのままに翌日商主の五馬を牽き来て池辺の岩上に立たせ、水に映った五馬の影を将去れ、〈もし影馬実に持つべき者なしと言わば、夢中行欲の事もまた同然なり〉、と言い渡したので、国王始め訴訟の当人まで嗟賞やまなんだという。
古ギリシアの名妓ラミアは、己の子ほど若い(デメトリオス)王を夢中にしたほど多智聡敏じゃった。その頃エジプトの一青年、美娼トニスを思い煩うたが、トが要する大金を払い得ず空しく悶えいると、一霄夢にその事を果して心静まる。ト聞いて、只には置かず揚代請求の訴を法廷へ持ち出すと、ボッコリス王、ともかくもその男にトが欲するだけの金を鉢に数え入れ、トの眼前で振り廻さしめ、十分その金を見て娯しめよとトに命じた。
ラミア評して、この裁判正しからず、子細は金見たばかりで女の望みは満足せねど、夢見たばかりで男の願いは叶うたでないかと言ったとは、この方が道理に合ったようであり、読者諸士滅多に夢の話しもなりませんぞ。このラミアの説のごとく、行欲の夢はその印相を留むるの深さ他の夢どもに異なり、時として実際その事ありしよう覚えるすら例多ければ、さてこそフィリポス王ごとき偉人もその后の言を疑わなんだのだ。
後年アレキサンダー大王遠征の途次、アララット山に神智広大能く未来を言い中つる大仙ありと聞き、自ら訪れて「汝に希有の神智ありと聞くが、どんな死様で終るか話して見よ」と問うと、「われは汝に殺されるべし」と答えたので、しからばその通りと王鎗を以て彼を貫く、大仙ここにおいて、汝実にわが子だとて、昔蛇に化けて王の母を娠ませた子細を語って死んだそうじゃ。
晋の郭景純が命、今日日中に尽くと、王敦に告げて殺されたと似た事だ。『日本紀』に、大物主神顔を隠して夜のみ倭迹々姫命に通い、命その本形を示せと請うと小蛇となり、姫驚き叫びしを不快で人形に復り、愛想竭かしを述べて御諸山に登り去り、姫悔いて箸で陰を撞いて薨じ、その墓を箸墓というと載す。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収