(序)
『古今要覧稿』巻五三一に
「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子』に山中未の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地といいしは羊を以て未に配当せしもその由来古し」
と論じた。
果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは、社中の蛇なり〉とある、蛇を以て巳に当てたのも前漢以前から行われた事だろうか。
すべて蛇類は好んで水に近づきまたこれに入る。沙漠無水の地に長じた蛇すら能く水を泳ぎ、インドで崇拝さるる帽蛇は井にも入れば遠く船を追うて海に出る事もあり。されば諸国でいわゆる水怪の多くは水中また水辺に棲む蛇である(バルフォール『印度事彙』蛇の条、テンネント『錫蘭博物志』九章、グベルナチス『動物譚原』二)。
わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意でミヅチと呼んだらしくそれに蛟※[#「虫+罔」、222-12]等の漢字を充てたはこれらも各支那の水怪の号故だ。
現今ミヅシ(加能)、メドチ(南部)、ミンツチ(蝦夷)など呼ぶは河童なれど、最上川と佐渡の水蛇能く人を殺すといえば(『善庵随筆』)、支那の蛟同様水の主たる蛇が人に化けて兇行するものをもとミヅチと呼びしが、後世その変形たる河童が専らミヅシの名を擅にし、御本体の蛇は池の主淵の主で通れどミヅチの称を失うたらしい。
かく蛇を霊怪視した号なるミヅチを、十二支の巳に当て略してミと呼んだは同じく十二支の子をネズミの略ネ、卯を兎の略ウで呼ぶに等し。また『和名抄』に蛇和名倍美、蝮和名波美とあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那で蟒を王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう。
さてグベルナチスが動物伝説のもっとも広く行き渡ったは蛇話だといったごとく、現存の蛇が千六百余種あり。寒帯地とニューゼーランドハワイ等少数の島を除き諸方の原野山林沼沢湖海雑多の場所に棲み大小形色動作習性各同じからず、中には劇毒無類で人畜に大難を蒙らするもあれば無毒ながら丸呑みと来る奴も多く古来人類の歴史に関係甚だ深い。
故にこれに関する民族と伝説は無尽蔵でこれを概要して規律正しく叙ぶるはとても拙筆では出来ぬ。だが昨年三月号竜の話の末文に大分メートル高く約束をしたから、今更黙ってもおれず、ざっと次のごとく事項を分け列ねた各題目の下に蛇についての諸国の民俗と伝説の一斑を書き集めよう、竜の話に出た事なるべくまた言わぬ故双参せて欲しい。
「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収