和名類聚抄

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  • 和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)

    『和名類聚抄』は、平安中期の漢和辞書。源順(みなもとのしたごう)が『爾雅』をモデルに編纂した。
    「倭名類聚鈔」「倭名類聚抄」とも書かれ、一般的に「和名抄(わみょうしょう)」「倭名鈔」「倭名抄」と略称される。
    十巻本と二十巻本があり、 内容に違いがある。



    和名抄

    南方熊楠の手紙:山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳3)
    また『和名抄』で、攫をヤマコと訓じていた。『和漢三才図会』では、飛騨の黒ん坊というものを攫に宛てていた。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その25)
    和漢三才図会』にも〈『和名抄』に狐は木豆弥キツネ射干なり、関中呼んで野干とす語は訛なり、けだし野干は別獣なり〉と記す

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その22)
    また柳田氏はつちを霊物とする俗ありとて、槌の意に取ったが、予は大蛇をオロチ、巨蟒をヤマカガチと読むなどを参考し、『和名抄』や『書紀』に、こう※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)きゅういずれも竜蛇の属の名の字をミヅチとんだから、ミヅチは水蛇みずへび野蛟のづち野蛇のへびの霊異なるをあがめたものと思う。

    南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その37)
    国史に※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)をワニと訓ませ『和名抄』『新撰字鏡』などその誤りを改めなんだは、その頃の学者博物学に暗かった杜撰ずさんで、今も北国や紀州の一部である鮫をワニと呼ぶ通り、国史のワニは決して※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)でなく鮫だという事を明治二十六年頃の『日本』新紙に書いた人があったがなかなかの卓説だ、御名前を忘れたが一献差し上げたいから知った人があらばお知らせを乞う、


    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その1)
    また『和名抄』にじゃ和名わみょう倍美へみふく和名わみょう波美はみとあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那でうわばみを王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その2)
    古事記』の遠呂智おろちは『書紀』に大蛇とあり、『和名抄』に蛇和名倍美へみ一名久知奈波くちなわ、『日本紀私記』にいふ乎呂知おろちとあり、今俗には小さく尋常なるを久知奈波といひ、やや大なるを幣毘へびといふ、なほ大なるを宇波婆美うわばみといひ、極めて大なるをじゃといふなり、遠呂智とは俗に蛇といふばかりなるをぞいひけむ云々

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その2)
    和名抄』に蛇和名倍美※蛇げんじゃ[#「虫+元」、224-5]加良須倍美からすへみ※蛇ぜんじゃ[#「虫+冉」、224-6]仁之木倍美にしきへみとありて幣美へみてふ〔という〕名ぞむねと聞ゆる、同じ『和名抄』蝮の条に、〈俗あるいは蛇を呼ぶに反鼻と為す、その音片尾へんび〉といへるは和名倍美とは似たれども別なりと聞ゆ、

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その2)
    また『和名抄』に蟒蛇ぼうじゃ、和名夜万加々知やまかがち、『古事記』に赤加賀智あかかがちとは酸漿ほおずきなりとあれば、山に棲んで眼光強い蛇を山酸漿やまかがちといったのであろう。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その2)
    普通に蟒に充てるウワバミは小野蘭山これを『和名抄』の夜万加々智とす。深山に棲み眼大にして光り深紅の舌と二寸ばかりの小さき耳あり、物を食えば高鼾たかいびきしてねむる由(『和漢三才図会』)、何かの間違いと見え近頃一向かかる蛇あるを聞かず。

    南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その3)
    和名抄』に仁之木倍美にしきへみんだ※[#「虫+冉」、225-11]蛇は日本にない。予漢洋諸典を調べるに後インドとマレー諸島産なる大蛇ピゾン・レチクラツスに相違ない。


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