蛇に関する民俗と伝説(その3)

蛇に関する民俗と伝説インデックス

  • 名義
  • 産地
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  • 蛇の特質
  • 蛇と方術
  • 蛇の魅力
  • 蛇と財宝
  • 異様なる蛇ども
  • 蛇の足
  • 蛇の変化
  • 蛇の効用
  • (付)邪視について
  • (付)邪視という語が早く用いられた一例

  • (名義2)

      『和名抄』に仁之木倍美にしきへみんだ※[#「虫+冉」、225-11]蛇は日本にない。予漢洋諸典を調べるに後インドとマレー諸島産なる大蛇ピゾン・レチクラツスに相違ない。この学名はその脊紋が網眼に似居るに基づき、すこぶる美麗でかの辺の三絃様な楽器の胴に張りおり、『本草』に〈※[#「虫+冉」、225-13]蛇嶺南に生ず、大なるは五、六丈、囲り四、五尺、小なるも三、四丈を下らず〉とあるが、『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』十一版に南米熱地産なるアナコンダに次いで諸蛇の最大なるものとあり。アはベーツ説に四十フィートに達するそうだが、ピゾン・レチクラツスは三十フィートまで長ずというから『本草』の懸値かけねゆるすべしで、実に東半球最大の蛇だ。

    さて『本草』に〈身斑紋あり、故に錦纈きんけつのごとし春夏山林中にて鹿を伺いてこれを呑む云々〉とあるは事実で、その肉やの薬効を『本草』に記せると実際旅行中実験した欧人の話とが十分二者を同物とする拙見をたすけ立たしむ。

    マルコ・ポロ南詔国なんしょうこくの極めて大きな蛇を記して
    「そのたけ三丈ほど、太さ大樽のごとく、大きな奴は周り三尺ばかり、頭に近く二前脚あり、後足は鷹また獅子の爪ごとき爪でこれを表わすのみ、頭すこぶる大きく眼は巨なる麪麭パンより大きく、口広くして人を丸嚥まるのみにすべく歯大にしてとがれり、これを見て人畜何ぞ戦慄せざらん、日中は暑ければ地下にかくれ夜出て食をもとめ、また河や湖泉に行き水を飲む、その身重き故行くごとに尾のために地くぼむ事大樽に酒を詰めてきずりしごとし、この蛇往還必ず一途に由る故、猟師その跡に深くくいを打ち込み、その頂に鋭きはがねの刃剃刀かみそり様なるを植え、すなもて覆うて見えざらしむ。かかる杭と刃物を蛇跡へ幾つも設け置いたと知らないかの蛇は、走る力が速ければ刃の当りも強くしてやにわに落命してしまう、烏これを見て鳴くと、猟師が聞き付け走り来ると果して蛇が死んでおり、その胆を取りて高価にる。狂犬に咬まれた者少しくまば即座に治る、また難産や疥癬に神効あり、その肉またうまければ人好んであがない食う」
    と言った。

    淮南子えなんじ』に、越人※[#「虫+冉」、226-14]蛇を得てよきさかなとなせど中国人は棄て用いるなし。『嶺表録異』に、晋安州で※[#「虫+冉」、226-15]蛇を養い胆を取りて上貢としたと載せ、『五雑俎』に、〈※[#「虫+冉」、226-16]蛇大にして能く鹿を呑む、その胆一粟を口にふく[#「口+禽」、226-16]めば、拷椋ごうりゃく百数といえどもついに死せず、ただし性大寒にして能く陽道を萎せしめ人をして子なからしむ〉。

    ランドの『安南風俗迷信記』にこの蛇土名コン・トラン、その脂を塗れば鬚生ずとあれば漢医がこれを大寒性とせるは理あり、『※(「土へん+卑」、第3水準1-15-49)雅』には〈※[#「虫+冉」、227-3]蛇の脂人骨にくればすなわち軟らかなり〉。

    さてマルコの書をユールが注して、これは※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)がくの事だろう、イタリアのマッチオリは※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)の胆が小かさや眼腫に無比の良薬だといったと言うたは甚だ物足らぬ。ふたつながら胆が薬用さるるからマルコの大蛇と※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)と同物だとは、不埒ふらちな論法なる上何種の※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)にもマルコが記したごとき変な肢がない。

    おもうにマルコはこの事を人伝ひとづて聞書ききがきした故多少の間違いは免れぬ。すなわち頭に近く二前脚ありとは全く誤聞だが、ここにくだんの大蛇が※[#「虫+冉」、227-8]蛇すなわちピゾン・レチクラツスたる最も有力な証拠はすべて蛇類は比較的新しき地質紀に蜥蜴類が漸次四脚を失うて化成した物で、精確にこれまでが蜥蜴類これからが蛇と別つ事はならぬ。されば過去世のピゾノモルファ(擬蟒蛇うわばみもどき)など体長きこと蟒蛇にせまりながら確かに肢を具えていた。

    さて※蛇ボイダエ[#「虫+冉」、227-11]群の蛇はおよそ六十種あり、熱帯アメリカのボアやアナコンダ、それから眼前予の論題たる※蛇ピゾン[#「虫+冉」、227-12]、いずれも横綱つきの大蛇がその内にある。知人英学士会員プーランゼーは、※蛇ボイダエ[#「虫+冉」、227-13]群は蛇のもっとも原始な性質を保存すと言った。その訳はこの一群の諸蛇蜥蜴を離るる事極めて遠からず、腰骨と後足のあとをいささかながら留めおり、すなわち後足の代りに何の役にも立たぬ爪二つ相対して腹下にある。

    これ正しくマルコが鷹また獅の爪ごとき爪が後足を表わすといえるに合い、南詔国(現時雲南省とシャン国の一部)辺に※[#「虫+冉」、228-1]蛇(ピゾン・レチクラツス)のほか大蛇体でかかる爪もて後足を表わすものなければ、マルコは多少の誤りはあるとも※[#「虫+冉」、228-2]蛇を記載した事疑いを容れず、予往年ロンドンにきし時、この事をユールに報ぜんとダグラス男に頼むと、ユールは五年前に死んだと聞いて今まで黙りいたが、折角の聞をつぶしてしまうは惜しいから今となっては遼東の豕かも知れぬが筆し置く、この※[#「虫+冉」、228-5]蛇もまた竜に二足のみあるてふ説の一因であろう。

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    「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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