(蛇と財宝1)
蛇と財宝
竜の条で書いた通り、欧亜諸国で伏蔵すなわち財宝を匿した処にしばしば蛇が棲むより、竜や蛇が財宝を蓄え護るという伝説が多い。また吝嗇家死して蛇となるともいう。
『十誦律』に、大雨で伏蔵露れたのを仏が見て、毒蛇だというと、阿難も悪毒蛇だといって行き過ぎた。貧人聞き付けて往き見れば財宝多し。それを持ち帰って大いに富む。その人と不好な者が、この者宝蔵を得ながら王に告げぬは不埒と訴えければ、王召してことごとくその財物を奪うたとあるを、『沙石集』などに、財は人に禍する事毒蛇に等し、故に仏も阿難も、かく言ったと解したは最もだが、全体インドでは、伏蔵ある所必ず毒蛇が番すると一汎に信ずるより、時に取ってかかる名言を吐いたのだ。
『南史』に、〈梁武帝元洲苑に幸し、大蛇道に盤屈し、群小蛇これを繞るを見る、みな黒色、宮人曰く恐らくこれ銭竜ならん、帝銭十万貫を以て蛇処を鎮め、以てこれを厭す〉、これ支那でも蛇を銭の神としたのだ。
アルバニアは俗伝に蛇が伏蔵を護り時々地上へ曝して、財宝に錆や黴の付くを防ぐ。牧羊人かつて蛇が莫大の金を巻けるを見、予て心得いた通り牛乳一桶をその辺に置き潜み窺うと、案の定かの蛇来て乳を飲み尽くし、また金を巻きいたが、渇いて何ともならずついに遠方へ水を求めに往った。その間に牧羊人大願成就忝ないと、全然その金を窃み得た(ハーンの『アルバニッシュ・スチュジエン』巻一)。ハクストハウセンが記したはアルメニア人言う、昔アレキサンドル王、その地にその妻妾を封じ込め、蛇をして守らしめたとあるも美女を財貨と同視しての談だ。
インドで今も伝うるは、財を守る蛇はすこぶる年寄りで色白く体に長毛あり、財を与えんと思う人の夢にその所在を教え、その人寤め往きてこれを取らば、蛇たちまち見えなくなると(一九一五年版エントホヴェンの『コンカン民俗記』七六頁)。また身その分にあらざるに、暴力や呪言もてかかる財を取った者は、必ず後嗣亡しと(同氏の『グジャラット民俗記』一四〇頁)。
『類聚名物考』七は『輟耕録』を引いて、宋帝の後胤趙生てふ貧民が、木を伐りに行って大きな白蛇己を噬まんとするを見、逃げ帰って妻に語ると、妻白鼠や白蛇は宝物の変化だといって夫とともに往き、蛇に随って巌穴に入り、黄巣が手ずからめた無数の金銀を得大いに富んだというが、世俗白鼠を大黒天、白蛇を弁財天の使で福神の下属という。西土の書にも世々いう事と見ゆと載す。
かく蛇が匿れた財宝を守るというより転じて、財宝が蛇に化るとか、蛇の身が極めて貴い効用を具うるてふ俗信が生じた。ドイツの古話に、蛇の智慧ある王一切世間の事を知る。この王昼餐後、必ず人に秘して一物を食うに、その何たるを識る者なし。その僕これを奇しみ私にその被いを開くと、皿上に白蛇あり、一口嘗むるとたちまち雀の語を解し得たので、王の一切智の出所を了ったという。
北欧セービュルクの物語に、一僕銀白蛇の肉一片を味わうや否や、よく庭上の鶏や鵝や鶩や鴿や雀が、その城間もなく落つべき由話すを聴き取ったとあり。プリニウス十巻七十章には、ある鳥どもの血を混ぜて生きた蛇を食べた人能く鳥語を暁ると載す。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収