(蛇の変化6)
未聞の代には鬼市として顔を隠し、また全く形を見せずに貿易する事多し(一九〇四年の『随筆問答雑誌』十輯一巻二〇六頁に出た拙文「鬼市について」)。これ主として外人を斎忌したからで、それと等しく今日までも他部族の女に通うに、女のほかに知らさず。甚だしきは女にすら自分の何人たるを明かさぬ例がある。さて昔は日本にも族霊盛んに行われ、一部族また一家族が蛇狼鹿、その他の諸物を各々その族の霊としたらしいてふ拙見は、『東京人類学会雑誌』二七八号三一一頁に掲げ置いた。
かくて稽うると大国主神は蛇を族霊として、他部族の女に通いしが、蛇を族霊とする部族の男と明かすを聞いて女驚くを見、慙じて絶ち去ったと見える。由って女も慙じて自ら陰を撞いて薨ずとあるを、何かの譬喩のように解かんとする人もあるようだが、他部族の男の種を宿さぬよう麁末な手術を仕損じてか、とにかくその頃の婦女にはかようの死様が実際あったので、現今見るべからざる奇事だから昔の記載は虚構だと断ずるの非なるは先に論じた。
また西アフリカのホイダー市には、近世まで大蛇を祀り年々棍を持てる女巫隊出て美女を捕え神に妻わす。当夜一度に二、三人ずつ女を窖の中に下すと、蛇神の名代たる二、三蛇俟ちおり、女巫が廟の周りを歌い踊り廻る間にこれと婚す。さて家に帰って蛇児を産まず人児を産んだから、人が蛇神の名代を務めたのだ(一八七一年版シュルツェの『デル・フェチシスムス』五章)。
『十誦律』に、優波離が仏に詣り、〈比丘の呪術をもって、自ら畜生形と作り、行婬す〉、また〈三比丘の呪術をもって、倶に畜生形と作って行婬〉する罪名を問う事あり。ローマの諸帝中、獣形を成して犯姦せし者数あり。宋以来支那に跋扈する五通神は、馬豚等の畜生が男に化けて降り来り、放まに飲食を貪り妻女を辱しむる由(『聊斎志異』四)、これは濫行の悪漢秘密講を結び、巧みに畜の状をして人を脅かし非を遂げたのであろう。
人が蛇になった話は蛇のある地には必ず多少あって、その変化の理由も様々に説き居る。貪慾な者蛇となって財を守るとは、インド東欧西亜諸方に盛んな説で悪人生きながら蛇になる話はアフリカ未開人間にも行わる(一九〇三年版マーチン女史の『バストランド』十五章)。
ただし貪欲でも悪人でもなくて蛇になった話もあって、甲賀三郎は、高懸山の鬼王とか、蛇に化けた山神を殺したとか(『若狭郡県志』二、『郷』三の十に引かれた『諸国旅雀』一)、その報いとしてか悪人の兄どもに突き落された穴中で、三十三年間大蛇となりいたが、妻子が念じて観音の助けで人間になり戻り二兄を滅ぼし繁盛した。羽州の八郎潟の由来書に、八郎という樵夫、異魚を食い大蛇となったという(『奥羽永慶軍記』五)。
しかし『根本説一切有部毘奈耶雑事』に、女も蛇も多瞋多恨、作悪無恩利毒の五過ありと説けるごとく、何といっても女は蛇に化けるに誂え向きで、その例迥かに男より多くその話もまたすこぶる多趣だ。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収