蛇に関する民俗と伝説(その37)

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蛇に関する民俗と伝説インデックス

  • 名義
  • 産地
  • 身の大きさ
  • 蛇の特質
  • 蛇と方術
  • 蛇の魅力
  • 蛇と財宝
  • 異様なる蛇ども
  • 蛇の足
  • 蛇の変化
  • 蛇の効用
  • (付)邪視について
  • (付)邪視という語が早く用いられた一例

  • (蛇の変化7)

     じて蛇になった例は、陸前佐沼の城主平直信の妻、佐沼御前やかたで働く大工の美男を見初みそめ、夜分ねやを出てその小舎を尋ねしも見当らず、内へ帰れば戸が鎖されいた。心深くじ身を佐治川に投げて、その主の蛇神となり、今に祭の前後必ず人をおぼらすそうだ(『郷』四巻四号)。愛執に依って蛇となったは、『沙石集』七に、ある人の娘鎌倉若宮僧坊のちごを恋い、死んで児を悩死せしめ、蛇となって児のしかばねまとうた譚あり。妬みの故に蛇となったは、梁の※(「希+おおざと」、第3水準1-92-69)氏(『五雑俎』八に見ゆれど予その出処も子細も詳らかにせぬから、知った方は葉書で教えられたい)や、『発心集ほっしんしゅう』に見えたわが夫を娘に譲って、そのむつまじきを羨むにつけ、指ことごとく蛇にりたる尼公あまぎみ等あり。

     もしそれ失恋の極蛇になったもっとも顕著なは、紀伊の清姫きよひめの話に留まる。事跡は屋代弘賢やしろひろかたの『道成寺考』等にほとんど集め尽くしたから今またぜいせず、ただ二つ三つ先輩のまだ気付かぬ事を述べんに、清姫という名余り古くもなき戯曲や道成寺の略物語等に、真砂庄司のむすめというも謡曲に始めて見え、古くは寡婦また若寡婦と記した。さて谷本博士は、『古事記』に、品地別命ほむじわけみこと肥長比売ひながひめと婚し、ひそかに伺えば、その美人おとめごおろちなり、すなわちかしこみてげたもう。その肥長比売うれえて海原をてらして、船より追い来れば、ますます見畏みて、山のたわより御船を引き越して逃げ上りいでましつとあるを、この語の遠祖と言われたが、これただ蛇が女に化けおりしを見顕わし、恐れ逃げた一点ばかりの類話で、正しくその全話の根本じゃない。

    『記』に由って考うるに、この肥長比売は大物主神の子か孫で、この一件すなわち品地別命がかの神のつげにより、出雲にかの神をいついだ宮へ詣でた時の事たり。上にも言った通り、この神の一族は蛇を族霊トテムとしたから、この時も品地別命が肥長比売の膚にり付けた蛇の族霊のしるしか何かを見て、その部族を忌み逃げ出した事と思う。

    大物主神は素戔嗚尊すさのおのみこと脚摩乳あしなつち手摩乳てなつち夫妻の女をめとって生んだ子ともすえともいう(『日本紀』一)。この夫妻の名をかく書いたは宛字あてじで、『古事記』には足名椎手名椎に作る。はやく論じた通り、上古の野椎ミツチなど、蛇の尊称らしきより推せば、足名椎手名椎は蛇の手足なきをとしたので、この蛇神夫妻の女を悪蛇が奪いに来た。ところを尊が救うて妻とした「その跡で稲田大蛇おろちを丸で呑み」さて産み出した子孫だから世々蛇を族霊としたはずである。

     予は清姫の話は何か拠るべき事実があったので、他の話に拠って建立された丸切まるきりの作り物と思わぬが、もし仏徒が基づく所あって多少附会した所もあろうといえば、その基づく所は釈尊の従弟で、天眼第一たりし阿那律あなりつ尊者の伝だろう。

    この尊者については、近出の『仏教大辞彙』などに見える珍譚いと多い。例せば阿那律すでに阿羅漢となって、顔容美しきを見て女と思い、犯さんとしてその男たるを知り、自らその身を見れば女となりおり、愧じて深山に隠れ数年帰らず。阿那律その妻子の歎くをあわれみ、その者を尋ねて悔過せしめ、男子となりもどって家内に遇わしめた(『経律異相』十三)。

    『四分律』十三に、毘舎離の女他国へ嫁して姑といさかい本国へ還るに、阿那律と同行せしを、夫追い及んでなじると、〈婦いわく我この尊者とともに行く、兄弟相逐うごとし他の過悪なし〉と、夫怒りて阿を打ってほとんど死せしめたと出るが、阿は高の知れた人間の女に、心を動かすような弱いひじりでなく、かつて林下に住みし時、前生に天にあって妻とした天女降って、天上の楽を説くに対し、〈もろもろの天に生まれ楽しむ者、一切苦しまざるなし、天女汝まさに知るべし、我生死を尽くすを〉と喝破かっぱしたは、南方先生若い盛りに黒奴くろんぼ女の夜這よばいをしかかえしたに次いで豪い(『別訳雑阿含経』巻二十、南方先生已下いかやつがれの手製)。

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    「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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