(蛇の変化8)
『弥沙塞五分律』八に、
〈仏、舎衛城に在り、云々。時に一の年少の婦人の夫を喪う有りて、これなる念いを作す。我今まさに何許くかに更に良き対を求めるべし、云々。まさに一の客舎を作り、在家出家の人を意に任せて宿止せしめ、中において択び取らんと。すなわち便ちにこれを作り、道路に宣令して、宿るを須つ。時に阿那律、暮にかの村に至り、宿所を借問す。人有りて語りて言う、某甲の家に有りと。すなわち往きて宿を求む。阿那律、先に容貌好きも、既に得道の後は顔色常に倍せり。寡婦、これを見て、これなる念いを作す。我今すなわち已に好き胥を得たりと。すなわち、指語すらく中に宿るべしと。阿那律すなわち前みて室に入り結跏趺坐す。坐して未だ久しからずしてまた賈客あり、来たりて宿を求む。寡婦答えて言う、我常に客を宿すといえども、今已に比丘に与え、また我に由らずと。賈客すなわち主人の語を以て、阿那律に従きて宿を求む。阿那律寡婦に語りて言う、もし我に由らば、ことごとく宿を聴すべしと。賈客すなわち前に進る。寡婦またこれなる念いを作す。まさに更に比丘を迎えて内に入らしむべし、もし爾せざれば、後來期なからんと。すなわち内に更に好き牀を敷き燈を燃し、阿那律に語りて言う、進みて内に入るべしと。阿那律すなわち入りて結跏趺坐し、繋念して前に在り。寡婦衆人の眠れる後に語りて言う、大徳我の相邀える所以の意を知れるや不やと。答えて言う、姉妹よ汝が意は正に福徳に在るべしと。寡婦言う、本とこれを以てにあらずと、すなわち具さに情を以て告ぐ。阿那律言う、姉妹よ我等はまさにこの悪業を作すべからず、世尊の制法もまた聴さざる所なりと。寡婦言う、我はこれ族姓にして年は盛りの時に在り、礼儀備さに挙がりて財宝多饒なり。大徳の為に給事せんと欲す。まさに願うべき所、垂とぞして納められよと。阿那律これに答えること初めの如し。寡婦またこれなる念いを作す。男子の惑う所は惟だ色に在り。我まさに形を露にしてその前に立つべしと。すなわち便ちに衣を脱して前に立ちて笑う。阿那律すなわち閉目正坐し、赤骨観を作す。寡婦またこれなる念いをなす。我かくの如しといえども、彼猶お未だ降らずと。すなわち牀に上りこれと与に共に坐さんと欲す。是において阿那律踊りて虚空に昇る。寡婦すなわち大いに羞恥し、慚愧の心を生じ疾く還りて衣を著し、合掌して過ちを悔い、云々。阿那律妙法を説き、寡婦聞き已りて塵を遠ざけ垢を離れて、法眼の浄なるを得たり〉。
これが少なくとも、熊野の宿主寡婦が安珍に迫った話にもっともよく似居る。
『油粕』に「堂の坊主の恋をする頃、みめのよき後家や旦那に出来ぬらん」とあるごとく、双方とも願ったり叶ったり。明き者同士なれば、当時の事体、安珍の対手を清姫てふ室女とするよりは、宿主の寡婦とせる方恰好に見える。
外国でも色好む寡婦、しばしば旅宿を営んだ(ジュフールの『売靨史』や、マーレの『北土考古篇』ボーン文庫本三一九頁等)。一九〇七年版カウエルおよびラウス訳『仏本生譚』五四三に、梵授王の太子、父に逐われ隠遁せしが、世を思い切らず竜界の一竜女、新たに寡なるが他の諸竜女その夫の好愛するを見、ついに太子を説いて偕に棲むところあるなど、竜も人間も閨情に二つなきを見るに足る。この辺で俗伝に安珍清姫宅に宿り、飯を食えば絶だ美し。窃かに覗くと清姫飯を盛る前必ず椀を舐むる、その影行燈に映るが蛇の相なり。怪しみ惧れて逃げ出したと。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収