熊野の天狗談に就いて(現代語訳)
田村くんの天狗の話(郷研3巻183頁)を読んでいるところへ、新宮生まれで東牟婁南牟婁両郡の珍事活法とも言うべき山本鶴吉という人が来たので聞いてみると、元津野と田村くんが聞いたのは広津野(ひろつの)が正しい。宇久井(うぐい)生まれで広津野に移住した者が山爺となったので、最近に塩を貰いに帰ったのは20年ほどでなく30年ほど前のことだった。
また「一人娘をわけ村にやるな」と唄われるのは南牟婁郡の和気村字下和気で、ここ新宮から3里半ほど、人家4、5軒あるのみ。川(※熊野川※)を隔てて東牟婁郡の能城山本にイノシシグラといって野猪も滑り落ちるという高い崖がある。また川の中に大石が積み重なって集まっていて、水の減ったとき遠望するとあたかも味噌を延ばし敷いたように見える暗礁があった。これをミソマメと呼んだが、明治22年の大水で川原の下に埋まってしまったと語られた。