高子
一方で、中井はいろいろ予のことを吹聴して、妻がないから今のようにぶらぶらしている、妻があればじつに帝王の補佐を務めるだけの才があるなどと言ったため、前年、錦織某の義心の聞こえが高かったとき、小山という女、数万円の家の娘であるが、その義を助けてやりたさに妻となったようなことにでもなるかもしれない。なにしろ人の言葉を聞いて人を慕うものは、右述の青砥の言葉のように、またたちまちに人の言葉を聞いて人に背く。ここらの見解は肝心である。
ただし、糞土の中にしでに大道があり、餓鬼の火焔は天女の瑠璃と見えるところである。金粟如来がこの善女人の好情にあって、どうして綺語の楽しみがないだろうか。少々記して(これは、英国では、予はずいぶん名高い投書を多くし、今もしているから、必ず後に予の伝記を尋ねられることが起こる。よって面白く綺語を事実に加えて、「新方丈記」1冊を作り(英文)、今度ディキンズに送る。オックスフォードの図書館の石室に収めるのだ。その体はルソーの『自懺篇』に習ったものである。そのうちに出来るから)米虫に供養しよう。よろしく心から喜ばれよ。
田辺なる多屋(たや)の高子が那智のやどりに文しておとづれたりけるにかへし遣はすとてそへたる
田辺なる多屋がかどべにかけし橋ふみ(文・踏)見るたびに人もなつかし
注。これは金粟の大いにすぐれた歌じゃ。我が国の生半可な文学者など、西洋西洋といって、西洋には首韻・尾韻(アルリタレーション ライム)の両者があり、我が国には尾韻がないと嘆いていい、前年、森田思軒がこのことを『国民之友』にしきりにいいって、「さいたさくらに、なぜこまつなぐ、こまがくるへば はながちる」、この俗謡に首韻、尾韻があるのは、せめてもの我が国の面目であるというようなことで、また団十郎のせりふに(「春藤玄蕃」)「上意を権威に検使の役目」といったのは、両韻を踏んでいるといって誉めている。
これらは我が国のことを知らないものの言葉で、『万葉集』に、持統天皇他に2人の歌に、首尾韻ともに踏んでいるのがある。また、名高い静女が蔵王権現の前で、米虫の前身ともいうべき女好きの僧に強いられて、法楽を奉る歌にも、「あり(蟻)のすさみの、にくきだに、ありきのあとはかなしきに、ありてはなれし面影を、いつの間にかはわするべき、わかれのことに哀しきは、おやの別れ、子の別れ、すぐれてげにもかなしきは、夫妻の別れなりけり」。これも首尾両韻踏んでいる。しかしながら、どうして右の如来の御詠に及ぶだろうか。
また、もっと難しいことをひとつしてみせようと思って、
十二月一日、熊野へ出で立つとて田辺はなれんとするとき、この夏、多屋の高子がこのほとりにて浴衣姿の清げなりしも、今ははや半年の昔となりけることと、わが身行衛定めぬにつけて、浜の真砂の朝な夕なに所かはる由なんど思ひつづけてかくなん
今はとてゆかた(浴衣)ゆかしき人に袖遠くなる身(鳴海)のしぼり(絞り)そめてき
これは首尾両韻踏んだ上に、鳴海絞り(浴衣の)しゃれまであるのだ。
田辺にありしとき一言だに雑(まじ)へざりしに、山ごもりしてくさぐさのもの用あるたびにたがはずおくうこすをかたじけなき由かきつけて、をはりに
鳥の足の跡も定かに見えぬまで恋ひにけらしな吾ならなくに 金粟王
返し
おぼつかなまだふみ知らぬ鳥の跡なに習ふとて人に見せけむ 高
なんと金粟の風流には降参か。楠枝の歌ぐらいに呆れるほどなら。長僧正はこれを見れば気絶するだろう。