自然の理
また前の手紙で長々と述べてやった、例の比較宗教学とか(じつは比較宗外相学)何とかというものを、例の博士とかいう油虫同然のものが持ち込んで来たとき、その方のように、当方ではこんな伝で満足するとか、そんなことは勝手に言えとか、受け身になるのは、第三者から見るとまことに弱く見える。
その方ら米虫を弱いと見ずに、真言大乗宗というものが根底から弱いものだと見るのだ。たとえば雪隠のなかにいて、予は幼少からこの匂いに慣れていて、人の言葉を聞くのが耐えられず、嫌なら勝手に寄りつくなというようなものである。
もしその人の居室の香りがはたして依然安楽になる芝蘭(しらん)の香りなのかどうかを証明しようとするならば、障子を開け放ち、土足のまま来て菜種の匂いのよい物を歓迎していれたやり、双方を比べさせ、自証自判させよというのだ。それをなすには、こちらの主張だけでは行なわれない。まず先方に理屈を言わせ、その理屈通りの理屈でこっちも応答する他ない。
すなわち、大乗は釈迦が説かないから仏教ではないと言えば、それならば仏教の仏とは釈迦だけを仏と心得ているのかと問う。そうだと言えば、いかにもそうである、権兵衛だけが人で七兵衛は人ではないと心得ている人は、権兵衛の他に人がいないのはもちろんのことであるという他ない。
もし仏とは仏陀円覚の意味であるというならば、仏教は釈迦だけに限らない。竜猛(りゅうみょう)のごときは、自分は謙遜して仏とは言わなかったが、じつは立派な仏である。これを仏というのに何の不都合があろう。
仁義、忠孝はそれほど珍しいことではない。火打石で火を出し、帚で筵を掃き、紙で糞を拭くというのは、何の世に誰が発明したということはないのと同じだ。橋から落ちる夢は誰も彼も別に人から習わないが見る。橋というものが危ないことを誰も彼もが十分幼少のときから呑み込んでいるからである。
あるいは矢鏃石の削り方などは、いずれの地のどの国の蒙昧不通の世のものも同一の形式である。かつて紀州侯世子頼倫氏に伴われて鎌田栄吉と英学士会院クラブに饗応を受けたとき、陪膳のガウランド氏(田中島造幣所長)が言ったことには、「妙なことは、日本の古代の神剣も、今ここに(そのとき、テームズ川の底から出たのを、世子の覧に供したのだ)ある古ブリトン人の太古の剣も、銅と錫の合わせ方は幾千分の一匁というところまで微細に合致していることだ」。
これとても込み入ったことなので、一世一代で出来上がったのではない。どちらも幾千年を経て研究したので、自然に一定の割合がもっともよいということを何となく自得したのだ。
すなわち前の手紙でいった、天地間には自然の理があり、ゆるやかに気長に取りかかっていれば必ず帰着するところはひとつであること。予が毎日この辺の杣さえ行かない絶巌に行き、雨にあい、下るも上がるもできなくなることが度々あるが、落ち着いて取りかかれば、現実に岩から穴へ落ちて足を挫くこともなく、必ず上か下へか出る道がつくのだ。
そして2度、3度と行ってみると、妙なもので十分に考えているということもないのに、落ち着いて取りかかれば必ずもっとも容易な筋道へ出るのだ。それと同一のことを知るべきである。