科学教育
終わりに言おう。汝米虫は頑固にも例の帰根斎に同情を寄せ、南譫部洲説(なんせんぶしゅうせつ)などを庇護する。須弥四洲の説(しゅみししゅうのせつ)は、インド人が北方が高いからそれを山頂と見て平地を山腹と見ての古説であることを、汝が前年パリから申し来たことがあった。
その通りで、その古説が行なわれたころは、それが間に合いもしたのだ。何の不都合もなかったのだ。しかしながら、今インドから西に当たるユーロッパを南譫部洲であるなどいうのは、その立脚地すなわちユーロッパを南に見るべき地はどこあたりになるべきかというような、千両箱の底を楊枝でほじるような疑問が生じる。
北氷洋に大陸はない。ゆえにそんな地はあるはずがないのだ。ゆえに四洲の説はすでにインドの古えの言葉であって、教理に少しも関係がないとすれば、今さら帰根斎流の時代遅れのこじつけはいらない。それよりは、教理の高いところを事実に応じて順序を立ててわかるように述べ(すなわち科学)、実用に便利にすること、書籍の目録索引をつくるようにしてよい。
すなわち森羅万象を今の時代の必要に応じて、早く役に立つように分類順序づけるのだ。そのころの人はそう思い、またそのころの知識はそれで足り、役に立ったのだ。今はそれより多く物がわかった、また物の役に立てようも52類ぐらいよりは微細になったため、5000万類でも5000万億類でもよし、今日までわかっただけに、信徒に率先してこれを順次し、教えし、教え導くのに役立ててやれというのだ。
かの耶蘇坊主の□(くさかんむりに胡)蘆を依様に描いて、今日こんな発明があったのでいって、たちまち経文をそれに拠って解きかえて、明日またその科学の説がちがうのでいって経文を説きかえるようなことはするな、というのだ。今日動物学などで、昨日1種と見たのを10種と分かち、100種と見たのを1種に合わせ、また人ごとに説がちがうなどのこと、毎日のことである。
われわれは、酒呑童子とか葛の葉とか、そんな理に外れることを信じるものではない。今日の児童もこれを笑う。しかしながら、古伝としてこれを唱えるとき、第一、自国はそんなことを信じる世から今まで続いたという履歴のある系図となり、なんとなく国を愛する風を育てるものである。古伝の功がここにあるのだ。
必ずしも四面四角にこじつけて、酒呑童子が仁義を説いた話とか葛の葉は畜生すら子を愛する理を説いたなどと、説くには及ばない。左様な説を称するときは、どうせ時代のちがったことなので、理に合うことが多いほど、理に合わないことも付いてきて多い物である。
前日高藤師に『曽我物語』を借りて読んだ。その内に兄弟が裾野へ復讐に打ち立つ途中、祐成はいろいろの腰折れ歌を詠む。時致はこれを怒り、いさめて、「そんな歌を考えているうちに復讐すべき念慮が散乱する、また万一討ちおおせぬときは、世の人が我らを嘲って、彼らはあんなことをいって人を惑わし、ちっとも仇討ちに念が厚くなかったのだというだろう」と言ったところがある。