春画の効能
仁者は、また心して件の小才子、生意気な新聞かき坊主などの言葉を聞くな。青砥藤綱(あおとふじつな)の言葉に、君(北条時頼)がわれを八幡の夢告であるといって重任するというからには、他日、八幡の夢告であるといってわれを懲罰する日が来る恐れがある、といった。一面識もない我輩のことを、たとえ誉めたとしても信じるべきではない。
ただし釈尊も、石女(※子を生まぬ女※)と黄門(※中性者、完全な檀根をそなえぬ者※)の輩はすでに出家していたとしても退出せよ、といった。ましてや、今日この活劇の社会に、女人も社会の大半の動機である世に、女を知らないぐらいを面目と心得るようなのは、まことに浅はかな了見といわざるを得ない。
そして、金粟は海外で学問すること久しく、そんなことの暇がなかったから、なんとなくそのことなく、今となっては、それを知らなかったからこそ、学問は面白くできたと喜んでいるのだ。それもでき、学問もできる人はなおよい。
世に希有なものは自然と値打ちが高い。一休は悟ったけれども、子をもうけたことがある人である。予はそれや帰根斎に比べて、自分の方が値打ちが高いと喜んでいる。ただし、歌人はいながらにして名所を知る、で、一件の秘事については、その場数を経た者よりもよく心得ている。
たびたび、上は(かの地の)皇族から下は乞食の子供、博徒に到るまで和まし笑わせることの功績は、大勲位にも優っている。これがどうして春画の効能でないだろうか。ただし、達と称して女人と裸で同浴した李夢陽(りぼうよう)の狂風にも習わず、任と称して衆中に醜部を露にした周顗(しゅうぎ)の放を学んだこともないので、その辺は安心あれ(件の破戒僧は、小生は一面識したこともない。このことはまた心得置いてください)。
予が仁者であれば、上述のような破戒僧は、鉄如意か金剛杵(※どちらも密教の法具※)で突き飛ばしてやるのだ。予は帰国後、家内に事情があり、やや長く遊んでいた。知人はみな遠慮して、新聞書きに知人が多かったが少しも記事に書かなかった。それなのに、件の破戒僧はこれを書き、「東寺へ行くとのこと、云々。わが仏教界に果たして南方氏を受け入れる余地があるのか、私は知らない。ウンハア(これは春画の語である)」と書いた。
予は田辺で親しい者に、いま英国へ引き返すことはちょっとできず、東寺には土宜師がいるから、その方へでも居候しようと思う、云々、といったのを聞き伝えて書いたのだ。第一僧としてウンハアなどいう語を心地よげに書くのも、心ない行いである。
また人間にはそれぞれ内情がある。予のようなのは、兄弟及びその子供が多く、いろいろ(自分は独身だが)その方も付けなければないわけにはいかない。隠して嘘をいうのではないが、余りに用のない人には、知人友人間といえども、いい加減なことをいうのも、やむを得ないことである。また、予の一身の一動一作、なにも新聞へ書いて世間へ披露するほどの関係があることではない。 それをこのようなことを書くのは、人の陰事を暴くの一端ではないか 。
また我が国の者は、近頃は、何の出所もなく、閑言語(英語で gibbering 何の趣向もなく場面を埋めるためにいうこと)を書くのが風習なのでといって、いやしくも予を受け入れる余地のあるなしなどのことは、いわなくてもよいことである。はなはだ心ない者の行いといわざるを得ない。貴下がもしまことに徒弟に人物を出そうと思うのなら、これらのことは、よくよく心得てほしいことである。