科学教育をすすめよ
今日の急務は、仁者の説のように闇黒社会を照らすことにある。そうしてそのこれを照らそうとする人の闇黒であるのが、急務の第一である教理と実功と相同相応すべき科学をなおざりに見て、そうして口数が少ない息子が鈴家の秘蔵娘をむしむし慕うがごとき、または男悪しき下男が主人の寡婦を思いつめるがごとく、二六時中不断、入我我入とか不二法門とか三千一如、十如一切とか、何千年言ってもわかりきったことをむしむし、繰り返すことだ。酒飲みの戯言のように言い続けてモノマニアック(※偏執狂※)となったとして、それが宗教全体のまたは社会の自分以外の人に何の利益があるのか。
もし人に問われて、入我我入の理を今日にも通じ明日にもまた通じるように説こうとするならば、やはり科学の他にその方法はない。
(科学とは他の宗教についてはわからないが、真言宗においては真言曼荼羅のほんの一部、すなわちこの微々たる人間界に現われるもので、その現われるもののうち、差し当たって目前に役に立つものの番付を整え、一目瞭然で早く役に立つようにする献立表を作る方法にすぎない。原子といい進化といい、ほんの曼荼羅の見様の相場付けの定度である。何か根拠があることではない。
ゆえに真言の本義深奥部処に比べれば、衣裳を形作る糸条と外面人目に反射して現出する紋様ほどちがうのだ。物界に限らず心界、事理界のことは、みな科学を離れては研究も順序正しく並べることもできない。言い方を変えれば、大日不可思議本体中に、科学はわずかに物会、心界、事理界などの人間にようやくわかりうるほどの外には一歩も出ることができない。)
それなのに、それを知りながらそう言わず、世間に害のある佐田介石流の了見で、得手勝手に南譫部洲は欧州のことだとか、地獄はアフリカのことだとか、吉祥天は祇園新地にありとか、多聞天は武大ながら財宝を多く持つから山口素臣、真鍋文武輩のことで、そんな奴でも拝めば福を下さるだろうかと、これは金粟の悪口だが、まずそんなこじつけも言い兼ねない根性なので、羅什三蔵のことなどを幸いに帰根斎などのことが起こるのだ。
大悟徹底などいって、これほどのことでぐにゃりとなる。ましてやそれは金粟のように気振りがまことによいので、あちらから思いつかれたということならまだしも、帰根斎などは大恩ある旦那の家に宿しながら、こちらから夜ばいに行ったのだからひどい。
世にこれほど詐欺のひどいものはなかろうと思う。羅什はすでにこのことのために死に際に安楽になるができず、神呪を呪して自らを救った。ましてや帰根斎などは。
要は南譫部洲などのこじつけは、曽我十郎のかたき討たぬ中の辞世で、まことに道を急ぐものにはいらない道草というべきものだ。予は断然このようなことをいって愚夫愚婦を一時の安楽をむさぼさせるよりは、ただちに政府がすでにそのことがあるから科学教育を協力してすすめよ、というのだ。