チバルリー(騎士道)
話はただこれだけであるが、それについて考えるに、西洋にチバルリー(chivalry)ということがある。これは我が国や、ことに支那などでは、ちょっと訳のできないことで、人の妻でも娘でもよし、欧州の中古の武士が守り本尊のようにひとりの女を胸中に認めて、ただその女に恥をかかせず、誉められよう、誉められようとだけ武道を励んだことである(『嬉遊笑覧』というものに、宮本武蔵が天草一揆討ちに出立するとき、吉原の名妓が贈ってきた羽織を着て出立したことがある。それらはちょっと似たことである)。
下って哲学者にも時おりこの類がある。デカルトは予と同様の偏人であったが、一生に一度かわいいと思う女がいたとのこと。またコムトはなんとかという後家と交わり(いやらしいことは一切なしになり)、その励みのために哲学が進んだ功があることを自ら述べた(フランスの18世紀のいわゆるヴォルテール、ルソーたちのは、これと異なり、まことに学者に似合わない、人の妻と親交する風習が大いに盛んであった。本夫もこれを咎めないのを美風としたのだ。gallantry〔ガラントリ〕という。これは、我が国の中古の和泉式部が夫ありながら道命阿闍梨と寝、敦貞親王に通わせなどしたようなことで、我が国にはあった)。
予の心中が今さらひとりの少女ぐらいなんともないのは、米虫は知っている。しかしながらこれをもって思うに、男子たるもの、意中に真に可愛いと思う女がいるようなのは、まことにその人の仕事が進み、行が修まり、考えが固まり心が確かになる効能があることは、ちんぼが立っているのに土砂をふりかけたり、埒もない田夫の娘を大黒(※僧侶の妻※)にしたり、また、たとえ満足に表向き妻を持ち得るのも、六つ指とか腋臭とか、どこか欠けたものでなければ来てくれない、今日の真言坊主らの心中の土台がすでに崩壊してしまったものに比べれば、たいへんまさっていることであろう。
ただし金粟如来は、過去に無類に善を修めたので、今生ですでに、仏の身体にそなわっていたすぐれた特徴をみな具えている(ただし、最近の過去に親のすねをかじったから、今生で歯がみなそろわないのは遺憾だ。しかしながら、その代わりにまた禁戒守るとしもなけれども堅固にして、その功徳で、一物の大きなこと。それはかの釈迦のが須弥山を7巻き半めぐって余りあり、頂から紅蓮が咲き開いて、その精進を黄門〔※中性者、完全な男根を具えぬ者※〕なためかと怪しんだ卑劣下根な宮女たちを感嘆させたものにも劣らないものだ。金粟がこのような大物を持ちながら、一度も帰根斎のようなことがないのは、米虫がもっとも強くあこがれ慕うべきところである)。