春画のことなど
さて、この春画というものは、小生もかの地でいろいろ見たことがあるが、我が国のほどよくできているものはなく、文章にしても、我が国の偉文として海外に誇るべきものは、『土佐日記』でも『枕草子』でもなく、春画の文が最高である。「日の本は岩戸神楽の始まりより女ならでは夜の明けぬ国」で、東玻のいったように、上は玉帝大帝から下は悲田院の乞食の児に至るまで、このことを好まない者はない。
小生は婦女と話したことは母姉といえどもろくにない。ましてや女と交会したとは1度もない。しかしながら、世にあって世の人と話をするには、その人情の至極に達しないわけにはいかない。試みにこの大社会の人の世から、色事をいっぺんに取り去ってみよ。残るところは、枯桑死灰だけになることは明白ではないか。人にすすめることではない。
予のような女に疎いものが人情を知るのに最も近道なので、予はこれらの学まで深くしているのだ。平賀源内が当時のしかつめらしく『源氏物語』などを講義するものを嘲って、彼らは裃(かみしも)を着て間男のなり筋(※?※)を講義するといったように、ギリシア・ローマの古学といい、わが『日本紀』といい、下って『源氏物語』『枕草子』、どれがこのことに止まらないというのか。
支道林であったかと思うが、僧に似合わず、鶴を捕らえて愛したのを不相応のことと人がなじったところ、私はただその速さ軽さを愛するのだといい、また重野より数年前に、じつは予の亡父の出た家から発見した『播磨石』という忠臣蔵の古小説に、むかし摂津に鶯塚といって鶯を飼っている僧がいて、人がこれを笑ったところ、私は鶯が『法華経』を誦えるのに比べて、自分の勤行が粗雑である顧み恥じるためといったとか。
今日のように崖岩削々として儀貌峻酷(※?※)、刀の鞘さえ当たれば喧嘩してみたいというような国には、予は春画を楽しむ人が多くないのを残念に思い、「如来はただその和合を愛する」と答えるだけである。
だから上述の道義は変わらないことながら、時代につれて相応に場合に応じてその儀を制する上からも、予は人の正直を雑談中の一言一言まで咎めるような風習、またむやみに人に根掘り葉掘り物を聞きただす風習などを止めるには、春画でも見せて、なんとなく一心不乱にその方だけを思い、和楽ということを抽象念入させることを必要とみて、つまらない者や口論好きらしい者には、自分は何も知らないが春画が大好きでだいぶん持っているから見よと見せて、話すことの煩わしさや時間を潰されるのを避けるのだ。人を怒らせず、人を和ませること。これに優るものがあるだろうか。
帆足万里も、「『源氏物語』には、淫らなことを教える言葉でないものはひとつとしてない。父帝の后と通じ、人の妻と通じ、はなはだしいものは、自分の生んだ子が成長したのに懸想する。しかしながら、その間優長和悠の体があることは、大いに人々の心を通わす器である」と言った。これを見て夢中になって無心の域に至っても、それもまた罪を払い除くためのひとつの大きな手だてなのではないでしょうか。(法律上のことはここでは省く。)