イタリアの信神者の話
不請の念仏は、小生はちっともわからないから、すでに誰も請ぜずにする念仏、すなわち何となく出た念仏ということと理解し、その旨を出した。貴下の言う方がよろしいと思うからさっそく連絡し直させてやった。
舎衛国(※しゃえこく:釈迦の時代、中インド、迦毘羅衛(かびらえ)国の西北にあった国※)の3億の家に住む人々はその世にありながら世尊の出生を知らなかった、ということがある。米虫もこの類ではなかろうか。第三仏とも自尊する者に、何をまことにつまらないことをいいに来た。ついてひとつの話がある。耳を清めて聞け。
むかしイタリアにひとりの信神者がいた。神に向かって、私に教えるのに、世にあるのにもっとも大事なことをひとつ見せよという。ガブリエル天使が来て、私に従って来いといって、諸国を周遊する。まずひとつの市に来て、18,9の美少年が杖を挙げて80余りの老翁を打って血を出させていた。それを観る者はみな快いと言って老翁を救わない。
次にひとつの寺に来て、信心堅固の僧が数十の竜虎を集め、食事を取り経を誦す。 その体はもっとも厳重である。そうして寝てしまった後、件の老僧がひそかに油をその建物にまき、たいまつを投じて、一同の僧徒数十人を一時に火で皆殺しにした。この人はここで天使に「私はなにか道のためによい心得になるべきことを願ったのだ。それなのに見せられるところのことは、いずれも無理人情のことばかりである。このような異常なことは訓戒とならない。だからここから別れよう」と別れを告げる。
天使は言った。
「神の心を知らない者は汝である。ここにいろ。私が汝に告げよう。世間のことはみなこの類である。皮想の観るところと事実の裏底とは大いに違う。これを心得よこれを心得るのが第一ということを示したのだ。
まず先刻の美少年は、年は100歳以上の者である。この者は信神厚く、養生が世を超えたので、100歳を越えてなお18,9に見える。80に見えた者はその子である。年はわずかに50に満たないのに、不養生、贅沢に過ぎ、淫靡がはなはだしく、身体が枯れて80ほどに見えるのだ。だから、なぜわれのように養生しないかと訓戒するのに、聞かないのみか、老父をはなはだしく嘲笑するから、衆人中でこれを叩いたのだ。
次に老僧は、その国に希有の聖人である。その国の件の山に古い大寺院があるが、今は同行廃れて戒を守る僧はひとりもいない。件の数十人の僧は、盗賊を仕事とし、外面に経巻を誦し、礼式にかなった衣を着て、田舎の質朴な家に宿り、夜になれば財産を奪い人を殺し、その妻女を姦淫することをやめない。幸い今日は、年に1度の盗蔵品の総勘定をするといって、件の山に集まって、右の老僧はこれを饗応して酒を飲ませ、一同が寝ているところを、国土のために大害を除く心得で、みずから戒を破って焚殺し尽くしたのだ 」
世界のことは、この類のことが多い。