変態心理
さて小生は渡米したが、米国の学校などというものは実際当時の我が国の学校にも劣っていて、教師はまた米国だけの人物で、とても欧州と同等に並べることはできない。一方、小生は主張が堅固で少しも米国人に屈しないので、しばしば喧嘩などをしでかす。
よって学校を見限り自修独学し、もっぱら図書館と野外に行って読書または観察をしたが、そのころ米国の南部は、あまり生物の詳しいことが知れていなかった。そこでフロリダへ行き、また西インド諸島に渡り、その辺の動植物を集めたところが、欧州へ渡らなければ調査はできない。よって26歳の秋、渡英した。その船中にあるうちに、父は和歌山で死に、ロンドンに着いて正金銀行支店を訪ねたところ父の死んだ知らせが届いていた。
「天下是ならざる底父母なし、人間得難きものは兄弟」というのに、どういうわけで小生は兄弟に縁が薄いのか、兄は父が没して5年めに父の予言のように破産没落し、次の弟は父が別居した跡を継いだが、これまた善人ではなく、小生が金銭のことに疎いのにつけこみ、ことごとく小生のものをやらかしてしまった(このことを聞き及んで、小生のただ一人の男児は精神病を起こし、もはや6年半近くになるが少しもよい知らせはなく、洛北に入院させてはや3年3ヶ月になる)。
このようにして帰朝してもまったく歓迎してくれる人もないので、「故郷やあちらを見ても梨の花」、熊野の勝浦、それから那智、当時は英国から帰った小生にはじつにズールー、ギニア辺以下に見えた蛮野の地に隠居し、夏冬浴衣に縄の帯して、山野を跋渉し、顕微鏡と鉛筆水彩画と紙だけが個人的財産で、月々家の弟からの20円のあてがいで、わびしくもまたおかしくもどれほどかの月日を送っていた。
外国にあった日も熊野におった夜も、かの死に失せてしまった2人のことを片時も忘れず、自分の亡父母とこの2人の姿が昼も夜も身を離れず見える。言語を発しないが、いわゆる以心伝心でいろいろのことを暗示する。その通りの所へ行って見ると、その通りの珍物を発見する。それを頼みに5,6年極めて静かで奥深い山谷の間に仮住まいした。
これはいわゆる潜在意識が周囲の環境のさびしいままに自在に活動して、あるいは逆行した文字となり、あるいは物のかたちを現じなどして、思いもかけぬ発見をなす。外国にも生物学をするものにこのような例がしばしばあることは、マヤースの変態心理書などに見えているので、小生は別段怪しくも思わない。
これを疑う人々に会う度に、その人々の読書だけして自らその境に入らないのを憐れみ笑うだけである(弄石で名高かった木内重暁の『雲根志』を見ると、夢に大津の高観音と思われる辺に来て、一骨董店に葡萄石をつり下げているのを見て、さっそく試しにそこに行ってみたところ、やはりみすぼらしい小店に夢の通りに石をつり下げてあったため、買うことができたなどということがある。これをでたらめとした人は、その人が木内氏ほどそのことに熱心でないか、または脳作用が異なっていることによる、と小生は思う)。