美少年の妹ら
Bright orange slime mold / Benimoto
さて22年を経て当日小生が山田氏宅に着いたのを、家人が御坊町の山田の従兄へ電話で知らす。ちょうどそのとき、妻木師が御坊町へ来ていて、本願寺別院で説法中で山田の従兄も聴きに行き、山田妻の妹(上述煎餅を小生の娘にくれた者、嫁いで材木屋の主婦である。37歳だが、25,6に見える。美人王子の申し子はみなこのようである)も行っていた。
ところが妙なことには、妻木師がちょうど生死の一大事に関し、件の『涅槃経』の文句をもじって講じ終えて、先年南方氏を田辺に訪ねたとき、鏡下に粘菌を示してかくかくの話があった、見る人の眼から見ればこのような微物も妙法の実相を示すと受け売りを弁舌爽やかにやらかし、一同大喜び、感涙にむせんだところに、山田の従兄が臆面もなく立ち上がり、妻木師に申して、その南方氏はただ今ここから5分で行くことができる北塩屋浦に来ていて、予の従弟片に一泊すると言うと、妻木師は大いに喜び、即刻ひとまず場を閉じ、皆様また夕の7時からご来訪くださいということで、弟子の坊主2人と自動車を走らせ午後3時過ぎに山田家へ来て、いろいろ話をして午後6時過ぎ、また説法で一儲けと立ち去られた。
その夜、山田家で久々に牛肉を食う。夜中まで夫婦と昔のことを談じたが、その妻は自分が生まれて1時間にならないうちに告別して米国に行き、その後帰朝と聞いたが、どんな人やらわからず、今日、天のめぐみでこんな所へ来てくださったのは亡き父母の引き合わせと喜ぶこと限りなく、3つのとき死なれたから写真の他に見覚えのない長兄と10歳のときに死なれた次兄とが熊楠のかたわらに座しているように見えるといって泣く。愁嘆場よろしくで、小生は件の僧侶と喋りくたびれたから眠りに就く。
翌1月7日早朝に、山田妻の妹(中川という材木屋に嫁ぎ、1男1女がある。この中川氏の妻の名は末。おそらくあんまり子を多く生むから、これで仕舞いと呪して末とつけた名であろう)が2子を伴って来る。山田の子供、男2名女3名、中川の子供男女各1名、合わせて7名がお目見えに来る。メジロが柿を食おうとして押し合うように、どれが姉だか、どれが誰の子だかわからない。
山田氏が紙に名と歳を記して来て、佐和山の城で石田三成が盲目の大谷吉隆に家老たちを引き合わせるように、小生の前へ代わる代わる出して、その名と歳を唱える。ちょっと小学校の卒業免状授与式のようである。これは1月7日のことで、この朝、正月祝いに神棚へ上げた芋、餅などを下ろし、味噌で汁にして祝い食うのを、この辺で福湧(わか)しという。何かか書いてくれと望むから、
芋が子は……て福若(わか)し
……は、小生近頃災難続きで忘れてしまった。山田氏へ聞き合わせの後、申し上げましょう。と書いてもこれもまた忘れてしまうかもしれない。(〔あとから「……て」を「押し合ひにけり」と書き改めて〕本状を書き終えてから思い出しました。ただし、なお修正を必要とするが、当座吟じたままに記し付けます)。ご存知の通り、仏経に人の妻を見て自分の姉妹と思えとある。ここには忠盛が糸我峠で零余子(ぬかご)について詠進した故事に思いを寄せたのだ。