二人の美少年
これから44年前(今年ただ今からは46年前)、小生は東京にあったがふらふら病いとなり、和歌山へ帰り、保養のため、父の生家が日高郡にあり、その親族がまたこの郡に散在するのでそこここと遍歴しようと日高郡に来た。そのとき、この北塩屋に、高名な医師である羽山氏という豪家があった。
その家に当時、5男があり、その長男は繁太郎(しげたろう)、次男は蕃次郎(はんじろう)という。これはご存知の通り、「筑波山は山しげ山繁けれど、思ひ入るにはさはらざりけり」という歌により、苗字の「は山」に因んで付けた名前と察する。その宅の近所の小岡に熊野九十九王子のひとつである塩屋王子の社がある。『熊野御幸記』にも載せている旧社でで、古く俗に美人王子と号す。そのためか、この家の5子、とりわけ長男と次男はぞっこんの美人である。
長男は小生が東京にあったとき勧めて上京させて、東大へ入ろうと本郷三組町の独和学塾とかいう所に入り勉学したが、その塾長が昔気質の人で塾生に一切足袋をはかせず単衣寒棲を強いる。東京へ初めて紀州から行って、その冬、烈しい寒気に風邪を引き、それから肺を病み、東大病院に入ったがはかばかしくなく、帰国して家にいた。
そこへ小生が行き泊まり、また当地付近の鉛山温泉に遊びなどして春から夏になった。このようにして、その夏、東京から同県出身の学生たちが多く帰国する。長男がこのようなので、次男を東大に入れようと勧めて、そのように決まり、夏休みが済んで学生たちが上京するというので、小生は和歌山にあったが急いでかの村に行き、次男を上京させることに決まり、一泊して翌朝次男を伴い、和歌山まで同行し、その翌日学生たちと上京させ、小生からその後、かつて衆議院、今は貴族院議員である関直彦氏へ頼み、その世話になり勉学させた。
このようにして小生は和歌山にいたが、家内に面白くないことがあって(小生の家は当時和歌山で1,2といわれた商家であったが、前年兄の妻迎えるのに父の鑑定で泉州より素性のよい旧家の娘、まことに温良の美人を兄の妻として入れたが、兄は淫靡の生まれで、浮気商売の女などを好み、父がせっかく定め選んだ女を好まず、出奔したことがある。それを引き戻して改心させたが、何しろ本心から好まないことはどこまでも好まない。そのため父と兄の間柄は常に面白くなく、このような上は小生は次男なため、父は次男の小生とともに家を別立するような気配がある。小生の妻を定めるなどという噂も聞く。このようになっては勝手に学問はできず、田舎で守銭奴となって朽ちることを遺憾に思い)、渡米することに決めました。
決めた上は早くとりあえず上京し、さて船のことなどを聞き合わせたうえ渡ろうと思い、日高郡の親族2,3の方へ告別に行った。