浄の男道
八文字屋本(※はちもんじやぼん:京都の本屋八文字屋八左衛門が刊行した浮世草子を八文字屋本という※)のひとつに、ある少年が容姿心だてがひとり飛び抜けて優れいろいろと言い騒がれるのを迷惑して、行ない正しい若い侍を尋ね、何とぞ兄貴分となり、この難儀から救ってくださいと言ったところ、いったんは断ったが、よくよく迷惑している様を見て忍びず承諾した。
承諾したからには、その少年に指ひとつ指させず、あるとき何かの場で言い出した者があったが、われに毛頭邪念なしと言って茶碗を噛み砕いた。それを見てこの人の言う言葉はこの上なく誠実であるといって一同恐れ入ったというようなことがあった。
故馬場辰猪氏の話として亡き友に聞いたのは、土佐では古ギリシアのある国々におけると一般、少年がその盛りに向かうときは父兄や母が然るべき武士を見立てて、かの方の保護を頼みに行った。それを引き受けた侍の性分如何で、その少年はじつに安心なものになったという。
和歌山という所は武士道の男道のということなく、たまたまあったら、それは邪淫一点からのことであったが、武道男道の盛んな所ではたいがい馬場氏が言われた通りであったとのこと。ハラムが、中世、騎士道が盛んであったとき、貴婦専念を口実にじつは姦行が多かったといったのは当然のことながら、みながみなまで姦行の口実だけだったら、そんな騎士道は世間を乱すもので1年も続くものではない。
私は今年は妻と何夜同衾したなどと言う者はいないけれど、すでに子女を儲けた夫婦なら、しばしば同衾したことは知れている。そのように年長の者が少年を頼まれて身命をかけて世話をやくぐらいのことは、武道(古ギリシアでは文道においても)の盛んであった世では、夫婦同臥同様、尋常普遍のことと思う。これを浄の男道と申すのだ。
それを凡俗の人は別にして、いやしくも読書をして理義を理解できる人が一概にことごとく悪事穢行と罵り、不潔とか穢行とか非倫とかいうのは、半分だけ理解してもう半分を理解していないものだということができる。小生がとるに足りない身をもって、かつて一度も経験したことがない進講を無事に終えたのは、むかし心安かった者の妹が亡き兄に代わって無事をひたすら念じてくれた力に由ることと思う。
陶全姜、三好実休、これらは君主を弑し、君主婦人を辱め、正道を乱した徒である。それすら2人討ち死にのとき、近臣小姓がわれもわれもと折り重なって、テベスの常勝軍のように戦死した。弑逆の大罪であるのは論ずるまでもないが、それはいま論ずる所ではない。かくまで多数の臣下の心をつかんだ2人の、臣下に厚かったところは買ってやらなければならないと思う。
貴状にこのようなことを調査し筆述することの不安を述べてあった。もっともなことである。それと等しく、本状に述べていることも現在の世間へ洩らしてはならない。しかしながら、これほどの事実を我が身に経験しながらまったく黙ってこの身とともに消滅させるのも面白くない。よっていささか述べるところがあり、文章にして人に聞かせられないところまでも述べたのだ。
無用のことで人を悩ませないために、貴下は当分(小生の命終わるまで)この状は、貴下ひとりでどうなさってもよろしいが、他人に見せることのないように望む(たとえば本状の中の、かの兄弟6人のうち1人を除いてことごとく早世したことなどは、今日これを吹聴されては系統遺伝などの外聞上、はなはだしく名誉を傷つけることもあろだろう。このこと特にご注意を乞う。本状に登場する人々は仮名を用いて記そうと思ったが、それでは戯作小説めいて自然信用されない恐れがある。よって猛省して少しも虚言を吐かない印に本名を記したのだ。これはひとえに貴下が貴下自身の事歴を隠さず述べられたので、小生が事歴を記すのに仮名を用いるのは不似合い千万なことと思ってのことである)。