陶晴賢(すえ はるかた)
陶晴賢(1521年〜1555年)。後に入道し、全姜(ぜんぎょう)と称しました。戦国時代の武将で、周防の守護大名大内氏の重臣。
少年時は美少年として知られ、大内義隆に寵愛されました。
しかし、1551年に謀反(大寧寺の変)を起こし、大内義隆を自害に追い込み、義隆の実子の義尊も殺害。大内義隆の養子であった大内義長を擁立し、大内氏の実権を掌握しました。
安芸の毛利元就に厳島の戦いで敗れ、自刃。享年35。
辞世は「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に」。