浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳6)

浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(口語訳)

  • 1 浄愛と不浄愛
  • 2 上婚下婚
  • 3 男色
  • 4 宦者
  • 5 妹尾官林で山ごもり
  • 6 川又官林へ
  • 7 二人の美少年
  • 8 美少年との別れ
  • 9 変態心理
  • 10 二人の美少年の妹ら
  • 11 粘菌と涅槃経
  • 12 相似
  • 13 美少年の妹ら
  • 14 美人王子
  • 15 粘菌学進講の前に
  • 16 わが思いの貴婦の一念
  • 17 浄の男道
  • 18 その世の人となる
  • 19 複姓
  • 20 粘菌学進講の後に
  • 21 幻像
  • 22 友愛

  • 川又官林へ



    雪
    雪こんもり / sabamiso

     このようにして1月4日まで氷雪に閉じ込められ一歩も外出することができなかったが、1月5日天を仰いで近来稀な晴天と知り、朝から荷拵えして午後1時に官舎を出て橇車に乗り、仰いだり臥したり、滑り落とされないように橇のヘリを固くつかみ、すべらせ下っていったが、この上なく危険である。中止しようと思ったが、氷雪が道を埋めて足の悪い小生が立つ所がない。よって運を天に任せ、すべらせ下る。96町(1町は約109m)を45分間で下り串本に着く。

    それから日高川に高く架かった針金橋を渡る。村の男女がまた途中で立ち止まるだろうと思って総出で見物する。小生は案内人を先に立たせ、その人ばかりを見つめて少しも下を見ずに直行し、わずかの間に長く高い吊り橋を渡り終える。それから林務所員の若者が自転車に小生の荷物をつけ(採集品などは出立の前に発送した)、小生は傘を杖にして先に行く。串井峠といってずいぶん高い山を上ると、午後3時過ぎの夕日がかがやき夏のように暑い。上半身だけ着物を脱いで進む。この分では峠を下るのも雪は解け氷は溶け去り、別段の難儀もあるまいと思いきや、下って見れば北に向かった地ばかりなためか、鏡面のように氷が張りつめている。

    この辺では草履というものがきわめて乏しいので、串本で2足針金を入れて作らせておいたもののひとつを履いて進む。唐尾越(からおごえ)という難所の下に着いたときは、もう5時である。提灯を用意してあったので臆さずに上っていく。途中で日がずんぶり暮れる。しかし、氷雪で道が白いため、闇夜ながら歩行に便利である。恐れ入ったことには、昼間たまたまの快晴で土や石にゆるみを生じ、所々途上で崩れ落ちて足が行き当たる。それを用心して天辺まで上り、さらに50町下って川又官林の官舎に着いたのは8時半であった。

     この辺は流感が大流行で舎長以下早く臥していて、コホンコホンとやらかしている。小使いひとりが無事で舎婢を呼んで来て飯を炊かせ、75日めに初めて生鮮な海魚で温かい飯を食べた(妹尾官林では絶対に芋と香の物と大根の煮たのと冷や飯を食べた。温かく炊いてくれても、写生に念を入れて半時間、1時間と遅れて食いにかかるときは、砂のように冷え固まっていたのだ)。

    それから安眠して朝早く起き、24年前、この川又官林で見つけておいた珍異の木を求めたが、その所はことごとく伐り尽くして何の木1本もなく、昨夜氷雪のなかを歩んで来た長々しい車道になったとのことに大いに失望し、ならばその木の概要を画で示しておきたく、後日見つけたら採って送ってほしいといって、それと同類の木を名指し折って来させたところ、小使いが走って行ってしばらくの間に折って来た木を見ると、前年見つけたのと同種のものである。これならば、この辺の人家の辺に多少あるとのことで大いに喜び、後から送ることを頼み、9時発の自動車で官舎主任が田辺へ官用で行くのと同乗して御坊町に向かう。

    主任はひとまず御坊町へ行き、それから乗り換えて田辺町へ行くのだ。小生は御坊町の手前にある北塩屋村で下車の予定である。

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    「浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他」は『南方熊楠コレクション〈第3巻〉浄のセクソロジー (河出文庫)に所収

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