幻像
終わりに申す。山田妻の第四兄の顔を見たのは昭和4年の1月8日に小生が山田方を田辺へ帰ったときが最後で、その年の11月16日早朝、小生が自宅の2階で眠っていたところ、目を開けてみると、電灯と小生の眼の間に黙って立っていた。
小生は深山などに独居し、また人殺しのあった宿に泊まりなどして、このような幻像を見ることはたびたびあり(年老いてからははなはだ稀である。これは9年来酒をまったく止めたことによるか)、少しも何とも驚かず、眼を閉じて心を静め、また眼を開くと依然ある。このようにして数回して消失、小生はまた眠りました。前後から推察して午前4時頃であった。
そしてちょっと一眠りして、午前5時に起き、かの幻像のことは洗ったように忘失して検鏡にかかる。午後1時頃、宅地の安藤みかん(この田辺特有の大果を結ぶみかん。拙庭に比類ない大木が3株ある。はなはだ西洋人の嗜好に合っているみかんである)の辺が喧しいので、走って行ってみると、長屋にいる人々と小生方の下女がその木に登り果実を収穫している。
そこで今朝早く見た幻像のことを思い出し、木箱にそれを19個入れ、午後2時過ぎに山田方へ送り、その妻の第四兄へ渡させた(2月ほど前から何病と聞かなかったが、病気で山田方へ移り療養中と申し来ていたのだ。この人は去年妻に死なれ家に人がいないため、妹の夫方へ移り介抱されていた)。
それから検鏡を続けるうちに、午後3時40分山田妻が出した電報が4時に到着、ハヤマキョウシキョスノブエ(羽山今日死去す信恵)、とあった。今日死去とだけあって何時に死去かわからず、山田方は混雑しているだろうと思い打ちやりおき、山田の従兄(上に出たように、妻木師に小生が塩屋村へ来ていると衆中で告げた人)へ問い状を出したところ、16日の午後0時30分、先日小生が一度忘れていた幻像を思い出して家人が取っていた蜜柑19個を荷造りして差し出すように指揮していたとき死去したのだ。
だから変態心理学者がよくいうような幻像 wraith(秋田県の羽後や由利の辺ではスコットランド同様に、このことはほとんど普通のことで幽魂という。人が死ぬとき幽魂が現われなければ、その人は情義薄い親切げのない者と嘲笑されるとのこと。スコットランドの諸地方の一般民衆も今だそのように信じる者が多い)はその人の臨終に現われるものではない。
臨終の際には自分の命さえとり留めることができないのだから、どうして他所まで推参する力があるだろうか。人が今まさに死のうとする前に、もはや覚悟を決めて、平生や旧事の交友などのことを静かに思う。その際の思いが池に石を投げて渦紋を生じるように四方へ広がり、もはや遠く広がって影を留めなくなるまで行って、そこに受動に適した蘆の1本あろうか、いったんほとんど消滅した渦紋がまたそれによって強く現出するように、このような力を受けるのに適した脳の持ち主に達してたちまち現出することかと存じます。ラジオに似たことである。
ただし、たびたび人が常に見ることができるものではないので、この上多くの実験を必要とし、またかたよりのない、その即座の記載を必要とする。小生はこのようなことを少しも信じる者ではない。しかし、研究材料としてこのようなものを見るたびに記録しておくのだ。
もし一派の変態心理学者のいうように、死ぬ前に思いつめるとその一念が種々の象徴となって思いつめられた人の前に現われるとするときは、その死人は平生好き嫌い共にきわめてその人のことを思い込んだものといわないわけにはいかない。小生がかの亡兄2人をよほど思い込み、今でもたびたび座右に現われるのを見るように(上述のように小生と山田妻とは44年前に生まれて1時間もせぬうちに別れ、44年後に再会したとき、小生の座右によくも覚えていない2人の兄が座っているように見えるといって泣いたなど)、この兄弟姉妹はみな小生を肉親の兄以上に思い込んでいるものと判断せざるを得ない。
五倫のひとつである友道友愛とはこのようにして初めてその名に叶うものと思う。(女と男の違いなどのようなのは問う必要がない)(変態心理学者のある者は、最愛の犬や馬や猫にもかのような幻像を出すことがあるという)