その世の人となる
小生は貧乏で諸知人の世話になり、研究費を集め出してもらい、妻子3人つねに重患のなかにあって、65歳の老齢で生物を研究している。その間いろいろと来訪または問い合わせされる人が多いが一切応じない。金銭はもとより大切だが、老齢の小生には時間ほど惜しまれるものはないということを知っているからである、乞い願わくは、この上小生に時間を潰させないよう、せめて本状だけは当分貴下ひとりのうちに止めおいてください。
すでに夜も明けたので、この状はこれで筆を置こう。小生はこの状を書いたために、採集壜3杯に満ちたキノコを腐らせてしまった。足が悪いため、また人に頼んで指定の箇所へ採りにやらなければならない。キノコはまず5日ごとに生滅するものなので、同じキノコは再び(今年中は)見ることができないものが多いだろう。その場合はその写生は来年を待たなければならない。ただし人と書面で琴を論ずるには、そんなことにかまっては本意が届かないものである。ゆえに決して決して小生はいささかも不満があるわけではない。この段はご安心を乞う。
本状にしたためたほどのことに気が付かず、また理解できないようなことでは、とてもむかしの男道を理解することできない。テーンはその世の人となり、その世の世間に入って、その世の心をもってするのでなければ、むかしのことを写し出すのは望めないと主張した。
一概に不潔とか非倫とか(男道すなわち真の友道は五倫のひとつである)忌むべきとか穢らわしいとか非理とかいって世間に媚びるようでは、このことだけでなく何の研究もならないもので一生凡俗に随順してその口まねをするものだ。
小生は諸国に15年近く流浪したが、学校などには入らなかった(ロンドン大学の総長ディキンズ氏が非常に同情し、取り立ててくれたため、ロンドン大学には毎度出入りしたが、学校の教授をいささかも受けたことはない。ただディキンズの日本学上の著訳を校訂助言に行ったのだ。そのことは1906年オックスフォード大学出版所刊行『日本古文』の序文でもわかります)。
ずいぶんいろいろと普通日本人が見ることができない所にも立ち入り見ることができた。西洋に遊学しながら西洋の内情を観なかった人の了見に間違いははなはだ多い。例を挙げれば、英国などに7,80歳の老人が若い若い17,8の娘を妻にすることが少なくない。これを何かきわめて精力旺盛で好色なように言い歩くものが多いが、大きな間違いである。
西洋の多くの国に養子の制度がない。不幸にして早く妻に別れ実子がない者は、見も知らない者が血縁関係があるということで、突然に大財産を政府から与えられ、喜んで発狂するなどのことが多い。その者の喜びと反比例に、死んで財産が思いもよらない者の手に落ちる、その財産持ちの失意は察するに余りある。秦でも安心して死に切れないのだ。
そのため、そんな老人は孤児院などを視察して、いかにも素性がよく、もともと利発ながら、不幸が重なって轍魚の涸水に喘ぐ様であるのを見定めて、これならばわが死後に日に1度ぐらいは必ずわれを念じてくれること疑いなしと思う者を妻と定め、つまり看病人介抱人のつもりで奉公させ、そして妻相当の遺産をその女にやり、実子ではないが、われを実の親のように死後いつも念じてくれることと安心して瞑目するのです。
それを知らずに、このようなことを聞く度に大助平老爺などと新聞などで批評するのは西洋の事情に通じないのもはなはだしい。瀕死の老翁が少年を愛するのも、じつは卑猥でも何でもなく、そのきわめて誠実な心を見抜いて介抱人と立て、そして財産の多分を譲るのだ。