妹尾官林で山ごもり
一昨々年10月18日であったか、東京より来遊された上松蓊(しげる)氏(明治24,5年ごろ衆議院副議長であった故安部井磐根氏の烏帽子子(※えぼしこ:武家の元服の儀式で新成人の後見人を勤める者を「烏帽子親」と呼び、その新成人を烏帽子子と呼んだ※)である)と当地は出発し、当国日高郡の妹尾官林(※いもおかんりん:今の和歌山県日高郡美山村にある妹尾国有林※)に赴き、3日目に上松氏は御大典のことに関係があって出立、東京への帰途につく(日高川の釣り橋を渡るとき、串本村の男女ことごとくが出てその渡りぶりを見るので、ずいぶん気をつけて歩んだが、橋板をとおして急流が遠い眼下を流れるのを見て、思わず足を止め居すくみになったとみずからいう)。
小生はひとり踏みとどまり、菌類を写生する。初めは200品を調べて立ち去るつもりであったが、このような深山へ老いてまたと来る見込みはないので、せめて300品を調べてからいこうと思い、逗留し続けるうちに冬となり、零下5度という毎日である。滝などは画に描いてある不動尊の火焔のように飛び散ったまま固く凍る。室内へ吹雪が降り、茶を汲んで5分も座右に置くと、堅い氷が椀にはりきって、底に血のような流動体が淀む。茶が水と別れて底に沈んでいるのだ。水は凍って石のようだ。
この官舎は、小生の他に事務員らが5人ばかり留まっている。猫が1匹いて鰹節を見せると怪しんで逃げ去る(ただし、1度口へ押し込んだので、それ以降は毎度探りに来る)。幼いときから1匹でここに来て世間を知らない。風の少ないときは谷川へ行きハイという小魚を獲って食う。メスを見たことがない。だから色気がない。舎員らがときどき手淫してやると、大いに怪しんで異様に吠え出す。毎朝起きてゆき台所を見ると、図(※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第3巻〉浄のセクソロジー (河出文庫) 323頁※)のように焔々とした囲炉の一側に坐って、身を焔に当てて焦げても去らず、代わる代わる片手を出して焙り暖をとる。日を招き還した人の話は、支那の魯陽公、本邦の清盛などあるが、火を招く猫は初めて見た。
唐猫を清盛にする寒さかな
この妹尾官林のことは『民俗学』昭和4年12月分(1巻6号)396〜397頁〔庚申鳥とゴキトウ鳥〕に載せたことがある。11月中旬より翌年3月初めまで日が少しも当たらない。狭い谷間なので北風が吹くときは官舎には南風が吹き、東風が来れば西風になるなどのことがある。午後峰頂に日が当たっているのを見て、さて晴天かと察するなどのことが多い。
このようにして氷雪中に300余点まで菌を集め写生すると、針で石を突くような音を出す。墨やインキや水彩色がたちまち固まって堅くなり、筆の先がまた針のように固まるためである。そのため筆や彩画具を用いることができず、鉛筆だけで図を引き色合いをなどを記し添えておいた。この南国にこのような寒い所があるとは思わなかった。