勝浦(かつうら)
現・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳16)
しかしながら、小生が家にいてはおそろしくて妻をくれる人はいない。当分熊野の支店へ行けとのことで、小生は熊野の生物を調べることが面白くて、明治35年12月に熊野勝浦港に行った。
南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳9)
このようにして帰朝してもまったく歓迎してくれる人もないので、「故郷やあちらを見ても梨の花」、熊野の勝浦、それから那智、当時は英国から帰った小生にはじつにズールー、ギニア辺以下に見えた蛮野の地に隠居し、夏冬浴衣に縄の帯して、山野を跋渉し、顕微鏡と鉛筆水彩画と紙だけが個人的財産で、月々家の弟からの20円のあてがいで、わびしくもまたおかしくもどれほどかの月日を送っていた。
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳4)
たとえば、この地方では今でも人に飯を差し出すのを礼とする。予の弟の支店が勝浦という所にある。予がたびたび用事で行くと、大急ぎで白米を買って来て炊き、魚を選んで高値を出して買って来て食わせる。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳1-6)
東牟婁郡勝浦辺りではキノコを指差せば指が腐ると心得た老人もいた。
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