2 ニラ
拙妻話に、古伝に韮(にら)の雑水(ぞうすい)は冷たきを服すれば寛利し、温かなるを用うれば腹を固むる、と。また西牟婁郡上芳養村の人いわく、以前婦女その夫などを毒するに、鉄針の砕屑(くず)を飯に入れ、知らずに食わせることあり。夫何とも知らずに煩い出し、医師にも病原分からぬ。かかる時韮を食えば、針屑ことごとく下り出て平治す、 と。巌谷小波君の『東洋口碑大全』上の八三五章に『三国伝記』より、丹波の村人が青鷺を射傷つくると、翌夜よりその家の後に栽えた薤を盗む者あるので、ある夜伺うて射ると青鷺が死におり、盗み食った薤が矢根に巻きついて出おったので、傷の療治に薤を盗みにきたと知り、ただちに弓を捨てて入道した話を引きおる。
薤は、『倭名類聚抄』にオオミラと訓じ、狩谷棭斎の『箋注』九に辣韮(らっきょう)のこととしある。『大和本草』、『本草啓蒙』、『本草図譜』、みなラッキョウとしある。『和漢三才図会』には、ラッキョウと薤を別物と立てて薤を韮の葉長く広いオオニラというもの、としある。『三国伝記』は『和漢三才図会』と同じく薤を大ニラ、韮をコニラと心得、 大小いずれか分からず、ただニラなる名を薤の字で書いたらしい。
『民俗』二年二報には、山崎麓氏が『雪窓夜話』、『旅行集話』、『金石譚』、種彦の小説『白縫譚』より、鉄を呑んだ大鯰や大鯉や雀が韮を食ってみずから鉄を出した例をひきおる。また種彦から、 かかる俗信が支那から出た証として『続医説』を引かれた。『本草綱目』二六には、 魚の骨が咽に立ったり、誤って釵鐶(さいかん:カンザシやユビワなど)を呑んだ者が薤を食うたら出てくる、とある。されば、これももと支那伝来の療法で、支那で薤の薬功として挙げたのを、日本で大ニラを用い、それから『和漢三才図会』九九に言える通り、日本で大ニラは少ないによって、もっぱら小ニラすなわち今単にニラという奴を用ゆることになったでしょう。)