神社合祀の悪結果 第8(後編)
熊楠は帰朝後十二年紀州におり、ずいぶん少なからぬ私財を投じ、主として顕微鏡的の微細植物を集めたが、合祀のため現品が年々滅絶して生きたまま研究を続けることができない。空しく図画と解説の不十分なものだけが残存している。ウォルフィアというのは顕花植物の最微なものであるが、台湾で洋人が採ったと聞くだけである。
和歌浦辺の弁天の小祠の手水鉢より少々予が見つけてから後見ることがない。ウォフィオシチウムという微細の藻は多種あるが、いずれも拳螺旋状(さざいのまきかた)をなす。西牟婁郡湊村の神楽神社(かぐらのやしろ)の辺りの小溜水から得たのは、従来聞いたことのない珍種で、蝸牛(かたつむり)のごとく平面に螺旋する。
このような微細生物も、手水鉢や神池の石質土質に従っていろいろと珍品奇種が多いが、合祀のために一たび失われてもう見ることができなくなる例が多い。紀州だけでこのような生物絶滅が行なわれているかと言うとそうではない。伊勢で始めて見つけたホンゴウソウという奇草は、合祀で亡びようとするのを村長の好意でようやく保留している。イセデンダという珍品の羊歯(しだ)は、発見地が合祀で畑にされ全滅してしまった。スジヒトツバという羊歯は、本州には伊勢の外宮にだけに残り、熊野で予が発見したのは合祀で全滅した。
日本の誇りとすべき特異貴重の諸生物を滅し、また本島、九州、四国、琉球等の地理地質の沿革を研究するに大必要なる天然産植物の分布を攪乱雑糅(ざつじゅう)し、また秩序なくさせているものは、主として神社の合祀である。本多静六博士は備前摂播地方で学術上天然植物帯を考察すべき所は神社だけだといわれている。和歌山県もまた平地の天然産生物分布と生態を研究することができるのは神林だけである。その神林を全滅されて、有田、日高二郡ごときは、すでに研究の地を失ってしまった。
本州に紀州のみが半熱帯の生物を多く産することは、大いに査察を要する必要事である。それなのに何の惜しげなくこれを滅尽するのは、科学を重んずる外国に対して恥ずべきことの至りである。あるいは天然物は神社と別だ、相当に別方法をもって保存すべきだというのか。それは金銭あり余っている米国などで初めて行なわれるべきことで、実は前述のように欧米人いずれも、わが邦が手軽く神社によって何の費用なしに従来珍草奇木異様の諸生物を保存して来たことを羨むものである。
近ごろ英国でも、友人バサー博士らが、人民をその土地に落ち着かさせようとするならば、その土地の事歴と天産物に通暁させることを要するとして、野外博物館(フィールドミュゼウム)を諸地方に設けるという企てがあると聞く。この人は明治二十七年ころ日本に来ていて、わが国の神池神林が非常に天産物の保存に有益であることを称揚していたので、名は大層ながら野外博物館とは実は本邦の神林神池の二の舞であろう。
外人が懸命に真似しようと励んでいる元のものを、こちらでは分別なく滅却しさって悔やまないとするのは、そもそも何のつもりか。総じて神社のなくなった社跡は、人民はこれを何とも思わず、侵掠して憚るところがない。例をあげると、田辺の海浜へ去年松苗を二千株植えたが今はすっかり絶えた。その前年、新庄村の小学校地へ桃と桑を一千株を紀念のため栽えたのも、一ヶ月の内にことごとく抜き去られた。だから欧米でも、林地には必ず小さな礼拝堂や十字架を立てるのだ。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収