神社合祀の悪結果 第6(後編)
また同じく佐々木博士が言ったように、政府は田畑山林の益鳥を保護する一方で、狩猟が大いに行なわれ、ややもすれば鳥獣が絶滅に瀕している。今のように神林が伐り尽されては、たとえ合祀のため田畑少々開けて有税地が多くなり、国庫の収入が増加するとも、一方で鳥獣絶滅のため害虫が異常に繁殖して、そのために要する駆虫費は田畑の収入で足らなくなるようになるだろう。
去年12月に発表された英国バックランド氏の説によると、虫類の数は世界中他の一切の諸動物の数にはるかに優る。多くの虫類は、1日に自身の重量の2倍の草木を食い尽す。馬一疋が1日に枯草1トン(270貫余)を食べるのと同じ割合である。これを防ぐには鳥類を保護繁殖させる以外ない。また水産を興そうにも、魚介に大害ある虫蟹を防いで大悪を防ぐものは鳥類である、とのことだ。
なので近江の辺りで古来今に至るまで田畑の側に樹を多く植えているのは無用の至りであるといって浅智の者は大笑いするが、実は害虫駆除に大功があり、非常に費用を節約する妙法というべきである。
和歌山県には従来、胡燕(おにつばめ)が多く神社に巣くい、白蟻、蚊、蠅をおびただしく平らげる。近来合祀などのためにはなはだしく少なくなった。熊楠在欧の日、イタリアの貧民が蠅を餌として燕を釣り食べることが大いに行なわれ、そのために仏国へ燕が渡ることが少なくなり、蚊が多くなって衛生を害するといって、仏国よりイタリアへ抗議を申し込んだことがある。やれ蚊が多くなった、熱病を漫布するとて、石油や揮発油のような一時的な物を買い込み撒きちらすよりは、神社の胡燕くらいは大目に見て生育させてやりたいことである。
また和歌山の辺りには蟻吸(ありすい)という鳥が多かった。これは台湾のセンザンコウ、西大陸のアリクイ、濠州のミルメコビウス(食蟻袋獣)、アフリカの地豚(アルド・ワルク)と等しく、長い舌に粘液があり、常に朽木の小孔に舌をさし込めば、白蟻たちが大いに怒ってこれを刺そうと集まるところを引き上げ食い尽す。
日本の蟻吸のことはよく研究していないため知らないが、学者の説に、欧州に夏渡り来る蟻吸と日本へ夏渡るものとは別種と認めるほどの差違なしとのことであるので、多分同一種で少々毛色くらいが異なるのだろう。欧州のものは、一夏に10あるいは22個の卵を生む。日本のものも必ず少なくとも10や15は生むだろう。保護さえ行き届くならば、たちまち夏ごとに群で飛来して繁殖し、白蟻を全滅はせずとも従来のごとくあまり大害を仕出さぬよう、その兇勢を抑制する功はあるだろう。
それなのに何の考えもなく神林を切り尽し、または移殖私占させてしまったため、この国ばかりに日が照らぬと憤って去って他国へ行き、和歌山辺へ来なくなった。そのために白蟻が大いに繁昌し、ついに紀三井寺から和歌山城の天主閣まで食い込み、役人らはなすところを知らずてんてこ舞いを演じ、硫黄でいぶそうとか、テレビン油を撒こうとか、愚案の競争の末、ついにこのたび徳川侯へ払い下げとなったが、死骸を貰ったのも同然で行く先も知れている。
むかし守屋大連(もりやのおおむらじ)は神道を頑守して仏教を亡ぼそうとし、自刃させられて啄木鳥(てらつつき)となり、天王寺の伽藍をつつき散らしたというが、和歌山県当局は何の私怨もないのに、熊楠が合祀に反対するのを憎み、18昼夜も入監させたから、天が白蟻を下し、諸処を食い散らしになったものと見える。
ただ惜しむべきは、和歌山城近くに松生院(しょうしょういん)といって建築が国宝になっている木造の寺がある。この寺は古え讃岐にあったとき、その戸を担架として佐藤継信が負傷のままこの寺にかつぎ込んだという。これも早晩城から白蟻が入り来て、食い崩されることだろう。蟻吸のことは学者たちの研究を要す。今は和歌山の辺りに見えず、田辺の近傍へは少々渡る。合祀が民利に大害あることは、このようなことである。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収