神社合祀に関する意見(現代語訳2)

神社合祀に関する意見(現代語訳)

  • 1 神社合祀令
  • 2 三重県における合祀の弊害
  • 3 神社合祀の強行
  • 4 熊野本宮の惨状
  • 5 新宮、那智
  • 6 熊野古道の惨状1
  • 7 熊野古道の惨状2
  • 8 神社合祀の悪結果1
  • 9 神社合祀の悪結果2
  • 10 神社合祀の悪結果3(前編)
  • 11 神社合祀の悪結果3(後編)
  • 12 神社合祀の悪結果4(前編)
  • 13 神社合祀の悪結果4(後編)
  • 14 神社合祀の悪結果5
  • 15 神社合祀の悪結果6(前編)
  • 16 神社合祀の悪結果6(後編)
  • 17 神社合祀の悪結果7(前編)
  • 18 神社合祀の悪結果7(後編)
  • 19 神社合祀の悪結果8(前編)
  • 20 神社合祀の悪結果8(後編)
  • 21 至極の秘密の儀法
  • 22 神社合祀中止を求む
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    三重県における神社合祀の弊害

     予の知る限りでは、従来神恩を戴き神社の蔭で衣食してきた無数の神職のうち、合祀の不法を遠慮なく論じたのは、全国にただ一人いるだけである。伊勢四日市の諏訪神社の社司、生川鉄忠(なるかわてつただ)氏がこれである。この人は、明治41年2月以降の『神社協会雑誌』にしばしば寄稿して、「神社整理の弊害」を論じていて、その言論は諄々として道理がある。

    今その要点を写し、当時三重県における合祀の弊害を列挙しよう。

    いわく、これまで一社として多少なりとも荘厳であったものが、合祀後は見すぼらしき脇立小祠となり、得るところは十社を一社に減じただけである。

    いわく、これまで大字ごとになしてきた祭典は、合祀後は張り合いがなく、するもせぬも同じことと全く祭典を廃してしまった所が多い。

    いわく、合祀された社の氏子は、遠路を憚り、皆が皆、合祀先の社へ参ることはできないので、祭日には数名の総代人を遣わすが、多勢に無勢で俘虜降人同然の位置に立つことになる。そのため、何のありがたいこともなく早々に逃げ帰る。言わば合祀先の一大字のみの祭典を、他の合祀されたる諸大字が費用を負担するわけになり、不平が絶えない。

    いわく、合併社趾の鬱蒼としていた古木は、伐り払われ、売られ、代金はとっくに神事以外の方面に流通し去られて、切株だけが残って何の功もない。古木などをむやみに伐り散らすのは人の気持ちをすさませ、児童に、昔から伝えてきた旧物一切を悔やむことなく破壊してもよいという危険思想を注入する。

    いわく、最も不埒なのは、神殿、拝殿等、訓令の制限に合わない点を杉丸太で継ぎ足し、亜鉛葺きなど、一時の取り繕いをして、いずれ改造する見込みだから当分御看過を乞うなどとして、そのまま放置する。

    いわく、長年なおざりにしてきた神社を、一朝厳命の下に、それ神職を置け、基本金を積めと、短兵急に迫られた結果、氏子が慌てて、百方工夫して基本金を積み存立を得たにもかかわらず、また値上げ、また値上げとなり、止まるところを知らない。造営までなかなか手が届かないのを規定に背くとして無理に合祀するは過酷すぎる。

    いわく、神官の俸給を増し与えても、すぐには何の効験、化育の功績も目に見えるほどには挙がらない。従前と変わったこともないので、氏子はまた策をめぐらし、俸給を規定より少なく神職に与え、ないよりはましだろう、ぐずぐず言うと合祀するぞ、と今度は氏子より神職を脅し、実際は割引で与えながら規定の俸給を受けているような受取証を書かすこと。

    熊楠が思うに、むかしより伊勢人は偽りが多いと言うので、仮作の小説でありことを明示するため『伊勢物語』という書題を設けたと申す。まことに本家だけあって、三重県の御方々には格別の智恵がある。和歌山県で行なわれる合祀の弊害はことごとく生川氏の指摘しているところと異ならないが、神職の俸給を割引して受取書を偽造させるようなものは、いまだ和歌山県では聞き及ばない。 しかし、追い追いは出て来るであろう。

    生川氏が結論にいわく、上記のごときはただ手早く合祀したというだけで、神社の整理か縮少か、あるいは破壊か、このような神社と神職とに地方自治の中枢たらんことを望むのは間違いもはなはだしい、これは神道全体の衰退と言うべき事態である。生川氏がこのように断ぜられたのは、まことに末を見透した明ありと嘆息の外ない。

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    「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収

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