新庄村(しんじょうむら)
現・和歌山県田辺市新庄町。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳20)
外人が懸命に真似しようと励んでいる元のものを、こちらでは分別なく滅却しさって悔やまないとするのは、そもそも何のつもりか。総じて神社のなくなった社跡は、人民はこれを何とも思わず、侵掠して憚るところがない。例をあげると、田辺の海浜へ去年松苗を二千株植えたが今はすっかり絶えた。その前年、新庄村の小学校地へ桃と桑を一千株を紀念のため栽えたのも、一ヶ月の内にことごとく抜き去られた。だから欧米でも、林地には必ず小さな礼拝堂や十字架を立てるのだ。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳14)
西洋に、林地には必ず礼拝堂があり、また十字架を立てるように、当地方では神威を借りるのでなければ樹林の守護はできがたいのだ。 すでに一昨年、当地の近く新庄という村の小学校が紀念のために児童に、校地に桃の木、桑の木を千本ばかり植えさせたが、1月経たないうちにことごとく全くなくなって終った。またこの田辺の浜へ今年、松の苗を二千株ばかり植えたが、昨今1本もない。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳2-18)
西牟婁郡新庄村大字鳥巣の辺りでは、なた豆を旅行出立の祝いに膳に供える。なた豆の花はまず本より末へ向いて咲き、次に再び末より本へ咲き下る。本へ還るという意味で、祝うのだろうな。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳3-8)
西牟婁郡新庄村大字鳥巣辺りでは、以前正月に礼に廻り来る人が家の中に入るのに蹴り込まなければ入れないように閾(しきい)のすぐ外におびただしく神馬藻を積んだ。藻を蹴り込む(儲け込む)という欲深いシャレだ。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳6-1)
紀州西牟婁郡の朝来(あっそ)・新庄の2村の境、新庄峠を朝来へ下る坂の側に弘法井戸がある。泉の水は常に満ちながらあ溢れず、たぐいまれな清水だ。大師がここの貧家で水を乞うと遠方へ汲みに行ってくれた。その報いに祈って出したんだそうな。
南方熊楠の随筆:十二支考 猴に関する伝説(その27)
田辺附近の新庄村より六十余歳の老婦多年予の方へ塩を売りに来る。
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