蛇に関する民俗と伝説(その25)

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蛇に関する民俗と伝説インデックス

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  • (付)邪視について
  • (付)邪視という語が早く用いられた一例

  • (異様なる蛇ども4)

     また河童が馬をくるしむる由諸方で言う。支那でも蛟が馬を害した譚が多く、『※(「土へん+卑」、第3水準1-15-49)ひが』にその俗称馬絆とあるは、馬をつなぎ留めて行かしめぬてふ義であろう。『酉陽雑俎』十五に、
    〈白将軍は、常に曲江において馬を洗う、馬たちまち跳り出で驚き走る、前足に物あり、色白く衣帯のごとし、※(「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)えいじょうそうにわかにこれを解かしむ、血流数升、白これをあやしみ、ついに紙帖中に封じ、衣箱内にかくす、一日客を送りて※(「さんずい+産の旧字」、第4水準2-79-11)水に至る、出して諸客に示す、客曰く、なんぞ水を以てこれを試さざる、白鞭を以て地を築いてあなと成す、虫を中に置き、その上に沃盥よくかんす、少頃しばし蠕々ぜんぜん長きがごとし、竅中きょうちゅう泉湧き、倏忽しゅっこつ自ずからわだかまる、一席のごとく黒気あり香煙のごとし、ただちに簷外えんがいに出で、衆懼れて曰く必ず竜なり、ついに急ぎ帰り、いまだ数里ならずして風雨たちまち至る、大震数声なり〉。

    かかる怪に基づいて馬絆と名づけたらしい。『想山著聞奇集』に見えたわが邦の頽馬というは、特異の旋風が馬を襲いたおすので、その死馬の肛門開脱する事、河童に殺された人の後庭しりと同じという。それから『説文』に、〈蛟竜属なり、魚三千六百満つ、すなわち蛟これの長たり、魚を率いて飛び去る〉。

    淮南子えなんじ』に、〈一淵に両蛟しからず〉、いずれも蛟を水族の長としたのだ。これらを合せかんがうるに、わが邦のミヅチ(水の主)は、最初水辺の蛇能く人に化けるもので、支那の蛟同様人馬を殺害し、婦女を魅し婬する力あったが、後世一身に両役かなわず、本体の蛇は隠居して池の主淵の主で静まり返り、ミヅチの名は忘らる。

    さてその分身たる河童小僧が、ミヅシ、メドチ、シンツチ等のを保続して肛門をうかごうたり、町婦を姙ませたり、荷馬を弱らせたりし居ると判る。もし本土の何処どこかに多少有害な水蛇が実在するかしたかの証左が挙がらば、いわゆる河童譚はもと水蛇に根拠した本邦固有のもので、支那の蛟の話と多く相似たるは偶然のみと確言し得るに至らん。

     角ある蛇の事、『大清一統志』一五三に、※[#「分+おおざと」、274-3]州神竜山に、たけ寸ばかりの小蛇頭に両角あるを産す。『和漢三才図会』に、青蛇は山中石岩の間にあり、青黄色にて小点あり、頭大にして竜のごとく、その大なるもの一丈ばかり、老いたるは耳を生ず。またウワバミにも、鼠の耳様な小さき耳ありと載せ、数年前立山からかえった友人言ったは、今もかの辺には角また耳ある蛇存すというと。

    『新編鎌倉志』には、江島の神宝蛇角二本長一寸余り、慶長九年うるう八月十九日、羽州うしゅう秋田常栄院尊竜という僧、伊勢まいりして、内宮辺で、蛇の角を落したるを見て、拾うたりと添状そえじょうありとて図を出す。日本に角また耳というべきものある蛇が現存するとは受け取れぬようだが、外国にカンボジヤのヘルペトン、西アフリカのビチス・ナシコルニスなど鼻の上に角ごときものあり。北アフリカの角蝮ホーンド・ヴァイパーは眼の上に角を具う。

    それから『荀子』勧学篇に、※蛇とうだ[#「縢」の「糸」に代えて「虫」、274-11]足なくして飛ぶとは誠に飛んだはなしだが、飛ぶ蛇というにも種々ありて、バルボサ(十六世紀)の『航海記』に、マラバル辺の山に翼ある蛇、樹から樹へ飛ぶと言ったは、只今英語でフライイング・ドラゴン(飛竜)と通称する蜥蜴の、脇骨長くて皮膜を被り、それを扇のごとく拡げて清水の舞台から、相場師が傘さして落ちるように、高い処からうまく斜めに飛び下りる事※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)むささびに同じきを言ったらしい。

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    「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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