(蛇と方術2)
三河国池鯉鮒大明神の守符、蛇の害を避く。その氏子の住所は蛇なく、他の神の氏子の住所は、わずかに径を隔つも蛇棲む。たといその境雑るもかくのごとし(『甲子夜話』続篇八〇)。和歌山近在、矢宮より出す守符は妙に蝮に利く。蝮を見付けてこれを抛げ付くると、麻酔せしようで動く能わずというが、予尋常の紙を畳んで抛げ付けても、暫くは動かなんだ。世に蝮指というは、指を緊張して伸ばし、先端の第一関節のみ折れ曲がりて、蛇の鎌頸状を成すので、五指ことごとくそうなるを苦手といい、蛇その人を見れば怖れて動かず、自在に捕わるそうだ(『郷土研究』四の五〇二)。
予の現住地の俗信に、蝮指の爪は横に広く、癪を抑うるに効あり、その人手が利くという。拙妻は左手のみ蝮指だから、亭主勝りの左利じゃなかろうかと案じたが、実は一滴も戴けませんから安心しやした。それからまた、苦手の人蟹を掴み、少時経つとその甲と手足と分れてしまうという、『仏説穣麌梨童女経』は、蛇を死活せしむる真言を説いた物だ。
蛇で占う事、『淵鑑類函』四三九に、『詩経類考』を引いて、江西の人、菜花蛇てふ緑色の蛇を捕え、その蟠る形を種々の卦と名づけ、禍福を判断し俚俗これを信ずと出づ。『酉陽雑俎』に、蛇交むを見る人は三年内に死す。ハツリットの『諸信および民俗』二に、古ローマ人は蛇の動作を見て卜うた。ロッス説に、水蛇と陸上の蛇の闘いは、人民の不幸を予示すと。アツボットいわく、マセドニア人、首途に蛇を見れば不吉として引き還すと。
ラームグハリット言う、ニルカンス鳥は、女神シタージの使物として、インドに尊ばる帽蛇、蛙を啣え、頭にこの鳥を載せて川を渡るを見る人は、翌年必ず国王となると。南方先生裸で寝て居る所へ、禁酒家の娘が百万円持参で、押し付け娵入りに推し懸くるところを見た人はという事ほど、さようにあり得べからざる事である。
ハツリット説に、一八六九年アルゼリアのコンスタンチナ市裁判所で、夫が妻の貞操を疑うて、その鼻と上唇を截った裁判あった時、妻の母いわく、この男は悋気甚だしいから、妾それを止めんとて、高名な道士に蛇の頭を麻の葉に裹んでもらい、婿の頭巾の襞の中へ入れるつもりでしたと言い、傍聴人に向って、何とこの法が一番能く利くでありませぬかと問うと、たちまちアラブ人数名頭巾を脱いで、銘々そうともそうとも、吾輩も悋気が豪いからこの通りと言って、件の禁厭品を取り出し示したが、陪席の土人官員一名、また判官の問いをも俟たず、僕も妻について焼かぬ間もなしだから、この通り蛇頭を戴きおります、蛇頭は男子を強力、女人を貞実ならしむる物ですと述べたそうだ。
ブラックの『俚薬方篇』五九頁に、英国サセックスの俗頸腫れた時、蛇を頸の上に挽きずり、罎に封じ固く栓して埋めると、蛇腐るに随って腫れ減ずと見ゆ。これは英国で、蝸牛や牛肉や林檎に疣を移し、わが邦でも、鳥居や蚊子木葉に疣を伝え去るごとく、頸の腫れを蛇に移すのだ。紀伊、伊勢等で蛇の屍を丁寧に埋め、線香供え日参すれば、歯痛癒ると信じ、予小時毎度頼まれて蛇を殺した。中世スペインの天主教名僧、ロムアルドの遺骸を、分配供養して功徳とせんと、熱心の余り、上人を殺さんとしたごとし。今となっては仔細判らざれど、初めは蛇の屍で歯を撫で、痛みを移して埋めたであろう。三河で病人久しく一の場所で臥せば、青大将に血を吸わるという(『郷土研究』三の一一八)。
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「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収