牛
○牛、紀州日高郡矢田村大山に、大山祇命を祭っている古社がある。この山の精霊は夜分、大きな牛となって、道で横になるとのことで、もし親孝行な者がいて、孝の徳で、親を見舞うために道を急いで件の牛を飛び越しても祟りはなかったという。予は19歳のとき、その牛を見ようと、夜間ひとりこの山を越えたが見るところはなかった。
牛の腹より出る毛玉を身に付ければ、博打頼みの母子などに利があると聞く。マルコ・ポーロの紀行に、鮓答(韃靼語「ヤダー、タシュ」の音訳)を用いて雨を祈ることを載せ(Yule, 'The Book of Ser Marco Polo,' 1871, vol. i. p. 273.)、本邦では古来牛を霊物とし(『和漢三才図会』巻37)、『日本紀』巻6に、狢の腹より出た玉を神宝としたことが見えるので、古、多少尊崇の念を、禽獣の腹中の頑石に寄せたことが知られる(※鮓答(さとう)は、牛・馬・豚・羊などの胆石や腸内の結石※)。知人のウエストン氏は、信州大河原でカモシカの鮓答を見た記述で、この物は昔、諸難を避け、鉄砲をさえ防ぐと信じられていたといっている(W. Weston. 'Mountaineering and Exploration in Japanese Alps,' 1896, p. 112)。これらはかつて毒鏃なども毒を吸い出すのに、神効があると思われたのに起こったのであろうか。