猪
○猪、『嬉遊笑覧』附録に記された、蛇が恐れる歌「あくまだち、我たち道に横へば、山なし姫にありと伝へん」とは、北沢村の北見伊右衛門の伝えた歌であろう。その歌は「この路に錦まだらの蟲あらば、山立姫に告げて取らせん」。
『四神地名録』の多摩郡喜多見村の条下に「この村に蛇除伊右衛門といって毒蛇に喰われたときにまじないをする百姓がいる。土地の人がいうには、伊右衛門伊右衛門と唱えて入れば毒蛇に喰われないという。お守りも出す。蛇が多い所は、ときに3里も5里も離れた所からお守りを受けに来るとのことである。不思議なことだ」とある。
さて、彼の歌はそのお守りであろう。「アクマダチ」は赤斑であろうし、山なし姫は山立姫であろう。猪をいう。蛇を好んで食う。殊に蛇を好むとのことであると、熊楠在米の頃、ペンシルバニア州へ蛇を除くために、欧州の猪を移し放したと聞く。
'Daily of Richard Cocks,' ed. Thompson, 1883, vol. ii. p. 87 にコックスが元和中、江戸愛宕権現と愛宕八幡像を拝したところ、いずれも猪に騎せていて、愛宕権現社の登り口に大きな猪を囲って飼っているとある。勝軍地蔵も、摩利支天と同じく、マルスはこの獣を使者とし、マルスが嫉妬のあまり自ら猪となって、女神ヴィーナスの愛人である少年アドニスを殺したことがシェイクスピアの戯曲によって名高い。インドでもビシュヌ神が猪の形を現ずる話がある。帝釈天は生まれてすぐに猪の形を現じたという(Gubbernatis, op. cit. vol. ii p7 Seqq.)