コックス

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  • コックス(Cocks, Richard )

    リチャード・コックス(1566年〜1624年)は、イギリスの貿易商人。
    1613年、コックスは東インド会社によって日本に派遣され、平戸にイギリス商館を設立し初代の商館長に就任。イギリスの日本における商圏の拡大に努めました。
    1623年にイギリス商館は閉鎖、コックスは日本を出国、翌年帰国の船中で病死。

    在任中に記した「イギリス商館長日記 」は当時の貿易の実態や日本国内の史実を伝える貴重な史料となっています。



    コックス

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳34)
    西軍の大将浮田秀家の従弟兼家老であったが、主を恨むことがあって家康に付いた者で、この戦の後、石見国浜田1万石に封ぜられたが、大阪城が落ちるとき、秀頼の妻を取り出したらその者の妻にやると聞き、取り出したが、秀頼の後家は本多忠刻に惚れその妻となる。出羽守はこれを怒ってこれを奪おうとし、兵を構えようとするのを家臣に弑せられる。故福地源一郎氏はこのことを虚談といったが、小生がコックスの『平戸日記』を見ると、コックスは当時江戸にいて、このことを記しているので事実である

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その15)
    英人リチャード・コックス『江戸日本日記』一六二二年(元和げんな八年)二月二十一日の条、コックス江戸にあり芝居にく途上オランダ館に入り肥後か肥前の王に邂逅す、武勇な若い人で年々五十万石を領す、今蘭人につかえ居る僕一人、先にかの王に事えた縁によりオランダ館を訪ねたのだ。彼予に語る予この日オランダ館へ来なんだら予をも訪ぬるつもりだったと。彼予に対するにその礼を尽くし彼の領国へ往けばすべての英国人を優待せんと申し出でられたと筆し居る。

    一七三二年版チャーチルの『航記紀行集函ア・コレクション・オヴ・ヴォエイジス・エンド・トラヴェルス』巻一に収めたる元和寛永頃カンジズス輯録『日本強帝国摘記サム・キュリアス・リマークス・オヴ・ジャパン』にカットフィンゴノカミ(加藤肥後守、即ち忠広)五十五万四千石、ナビッシマシナノ、フィスセン、ロギオイス(鍋島なべしま信濃、肥前名護屋なごや)三十六万石とあり、コックスが肥後か肥前の王五十万石を領すといえるは忠広なる事疑いなくこの人勇武なるのみならず外人に接する礼にならい世辞目なき才物たりしと見ゆ。


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