烏(カラス)
○烏(カラス)、熊野の神の他に烏を使者とする例は、信濃諏訪の宮(『諏訪大明神絵詞』上)、江州日吉山王(『山王利生記』巻一)などがある。『隠州視聴合記』巻二に「知夫郡焼山に2羽の烏がいる。その他は見ない。常に堂の前で遊ぶ。山の樹に巣があり、客が来るのを見るとすぐに屋根の上で鳴き、庭木の枝で騒ぐ。このことで社僧は人が参詣に来るのをあらかじめ知り、神前に出てこれを待つ云々。この他まだあるだろう。
古、女神ジュノはまず烏を、次に孔雀を使者とした。神武帝が熊野の山道に迷いなさったとき、天照大神が八咫烏に先導させてなさったことがあるので、熊野に烏は古くから所縁があったのだ。
ギリシアでアポロ神が烏に化けることがある。『ラーマーヤナ』神軍が鬼軍と戦って敗走するとき、閻魔烏に助けられる。その報酬に葬餞を烏の得分とし、烏がその食を受けるとき、死人の霊は楽土に行くことができると定めている。ギリシアの古諺に、死ぬことを烏の許に行くと言った。
予が思うのに、烏は好んで屍肉を食う者なので、インドまたはエジプトのワルチュール同然、人が死に臨んでいる上を飛び回り、また人の死体を食おうとして従軍したので、自然と、あらかじめ人の死を知らせるとか、烏鳴きが悪いとかいう言葉も起こると同時に、神使と見なされたのだ(Gubernatis, 1. c., p.p. 189-9, 253-4; Budge, 'The Gods of the Egyptians,' 1904, vol. ii p. 372 参照)。『元亨釈書』に某大后が遺命して玉体を野に棄てさせたことがあり、『□州府志』に京都紫野古阿彌谷で林葬が行われ、死人を石の上に置き去り、狐狸に食わせたことを載せ、長明の『発心集』巻四に死んだと思って病人を野に棄てたところ、鳥がその両眼を食した話がある。
熊野はイザナミノミコトの御陵がある地なので、もとより死に縁がある。古伝に死者の霊は必ず後ろ向きまた逆さまに立ってこれに詣でると言ったのは、濃霧に行人の反影などを幻映したことから生じたのであろうか(近松の『傾城反魂香』に出る)。今も近村の人が死ぬと、妙法山に亡者が登り、鐘が自ら鳴るなどと言い伝える。予は毎度植物採集に行き、夜1人で死出の山路といわれる所を歩き、那智へ帰ったが、あまり気持ちのよいものではなかった。なので、烏を熊野の神使とするのは自ずから訳があり、ただこの山に烏が多いことだけに由来するのではなかろう。
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