(その5)
『抱朴子』に兎血を丹と蜜に和し百日蒸して服するに梧子の大きさのもの二丸ずつ百日続け用ゆれば神女二人ありて来り侍し役使すべしとある、いかにも眉唾な話だが下女払底の折から殊に人間に見られぬ神女が桂庵なしに奉公に押し掛け来るとはありがたいから一つ試して見な。
欧州にもこれに劣らぬ豪い話があってアルペルッス・マグヌスの秘訣に人もし兎の四足と黒鳥の首を併せ佩ぶればたちまち向う見ず無双となって死をだも懼れず、これを腕に付くれば思い次第の所へ往きて無難に還るを得、これに鼬の心臓を合せて犬に餌えばその犬すなわち極めて猛勢となって殺されても人に順わずと見ゆるがそんなものを拵えて何の役に立つのかしら(コラン・ドー・ブランチー『妖怪事彙』第四版二八三頁)。米国の黒人は兎脳を生で食えば脳力を強くしまたそれを乾して摩れば歯痛まずに生えると信ず(一八九三年版『老兎巫蠱篇』二〇七頁)。
陳蔵器曰く兎の肉を久しく食えば人の血脈を絶ち元気陽事を損じ人をして痿黄せしむと、果してしからば好色家は避くべき物だ。また痘瘡に可否の論が支那にある(『本草綱目』五一)。予の幼時和歌山で兎の足を貯え置き痘瘡を爬くに用いた。これその底に毛布を着たように密毛叢生せる故で予の姉などは白粉を塗るに用いた。
ペピイスの『日記』一六六四年正月の条に兎の足を膝関節込みに切り取って佩ぶれば疝痛起らずと聞き、笑い半分試して見ると果して効いたとある。鰯の頭も信心と言うが護符や呪術は随分信ぜぬ人にも効く、これは人々の不自覚識に自然感受してから身体の患部に応通するのだとマヤースの『ヒューマン・パーソナリチー篇』に詳論がある、
私なんかも生来の大酒だったが近年ある人から妻が諫めて泣く時その涙を三滴布片に落しもらいそれを袂に入れ置くと必ずどんな酒呑みもやまる物と承りましてその通り致し当分めっきりやみました。
プリニウスの『博物志』八巻八一章に兎の毛で布を織り成さんと試みる者あったが皮に生えた時ほど柔らかならずかつ毛が短いので織ると直ぐ切れてしもうたと見ゆ、むやみに国産奨励など唱うる御役人は心得て置きなはれ。
『塩尻』巻三十に「或る記に曰く永享七年十二月天野民部少輔遠幹その領内秋葉山で兎を狩獲信州の林某に依りて徳川殿に献ず、同八年正月三日徳川殿謡初にかの兎を羹としたまえり松平家歳首兎の御羹これより起る、林氏この時蕗の薹を献ぜしこれ蕗の薹の権輿と云々」とあるは可い思い付きだ、時節がら新年を初め官吏どもの遊宴には兎と蕗の薹ばかり用いさせたら大分の物入りが違うだろ。
本邦では兎に因んだ遊戯はないようだが英国には兎および猟犬ちゅうのがあって、若者一人兎となってまず出立し道中諸処に何か落し置くを跡の数人猟犬となってこれを追踪捕獲するので一同短毛褐を着迅く走るに便にす、年中季節を問わず土曜の午後活溌な運動を好む輩の所為だが余り動きが酷くてこれに堪えぬ者が多いという(ハツリット『信念および民俗』一九〇五年版巻一、頁三〇五)。予はそんな事よりやはり寝転んで盃一がいいというと読者は今のさき妻の涙で全然酒がやんだといったじゃないかと叱るだろ。
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「兎に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収