塩尻

南方熊楠の書庫

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    『塩尻』は江戸時代の国学者天野信景の随筆。全千巻とも言われる一大随筆集で、現存するのは170巻ほど。



    塩尻

    南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳24)
    しかしながら、肝心の本宮社司相攻伐することはなはだしく、那智はまた山徒が2つに分かれ相闘い、新宮も争乱が絶えなかったため、社伝などというものの多くは失われ、本宮のごときは元禄ころにすでに何の伝もなく、天野信景のような全く他州の人にその伝記を作ってもらいに行ったということが『塩尻』に見えている。

    南方熊楠の随筆:田原藤太竜宮入りの話(その37)
    アフリカ、南米、濠州等には川に鮫住む事多く昔江戸鮫が橋まで鮫が来たとは如何いかがだが、『塩尻』五三に尾張名古屋下堀川へ鰹群来した事を記して、漁夫いう日でり久しき時鮫内海に入り諸魚を追うて浜近く来るとあり。

    南方熊楠の随筆:馬に関する民俗と伝説(その28)
    天野信景(あまのさだかげ)の『塩尻』巻五三に、人男女の二根を具するあり、獣もかかる物ありやという人侍(はべ)る、予が采地愛知郡本地村民の家に、二根ある馬ありて、時々物を駄して来る、見るに尤(いと)うるさく覚え侍るといえるは、その見ネロに勝る事遠しだ。

    南方熊楠の随筆:猴に関する民俗と伝説(その18)
    帝国書院刊本『塩尻』三四に、主上疱瘡の御事ある時は坂本山王の社に養える猴必ず疱瘡す、御痘軽ければ猿の病重く、皇家重らせたまえば猴やがてくなるといい伝う。後光明帝崩御の時坂本の猴軽き疱瘡なりしとかや、今度新帝(東山天皇)御医薬の時山王の猴もまた疱瘡煩いける、被衣かずき調えさせてかの猴にきせさせたまいしがほどなく死にけり、帝はやがて御本復ありし、もっともふしぎなりけり。古の書にも見えず近代の俗説にやとある。

    南方熊楠の随筆:鶏に関する伝説(その8)
    これ『塩尻』巻四六に、中古吉野初瀬詣(もう)で衰えて熊野参り繁昌し、王公已下(いか)道者の往来絶えず、したがって蟻(あり)が一道を行きてやまざるを熊野参りに比したとあり。

    南方熊楠の随筆:猪に関する伝説(その14)
    塩尻』五四にも『載筆』と同話を出し、この事出処なお尋ぬべしとあるが、どうも曹操が刀を磨ぐ音と縛り殺せという声を誤解して呂氏の一家を殺した話から出たものでただ日本に畜類を縛して家内で殺す風と源平の頃豕がなかったから、単に酒を買いに出たのを密告に往ったと疑うての殺害と作ったり、麦条を打てといったのをおのれを討つ企てと誤解して伯父を殺したと作り替えたと知らる。


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