鶏に関する伝説(その8)

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     ドイツの俚説に灰上に家鴨あひるや鵞の足形を印すれば、罔両もうりょうありと知るという(タイラー『原始人文篇』二板、二巻一九八頁)。東西洋ともに鬼の指を鳥の足のごとく画くは、過去地質期に人間の先祖が巨大異態の爬虫類と同時に生存して、いたく怪しみ、怖れた遺風であろう。

    知人故ウィリヤム・フォーセル・カービー氏の『エストニアの勇士篇』にも諸国蛟竜こうりゅうはなしは右様の爬虫類、遠い昔に全滅したものより転訛てんかしただろうと言われた。実際鳥と爬虫とその足跡分別しがたいもの多く、『五雑俎』九の画竜三停九似の説にも、爪鷹に似るとあり。山海経せんがいきょう』の図などに見るごとく、竜と鬼とは至って近いもの故、鬼の足、また手を鳥足ごとく想像したと見える。灰を撒いて鬼の足跡を検出する事は、拙文「幽霊に足なしという事」について見られよ。

     鶏の霊験譚は随分あるがただ二、三を挙げよう。『諸社一覧』八に『太神宮神異記』を引いて、豊太閤の時朝鮮人来朝せしに、食用のためとて太神宮にいくらもある鶏を取り寄せかごに入れてあまた上せけるに、ほどなく皆返さる。これは朝鮮人の食物に毛をむしりたる鳥、まないたの上にて生きてち上り時を作りけるに因ると。また『三国伝説』を引いて、三島の社につぶれたる鶏あり。いつも暗ければ時ならず時を作り、朝夕をわきまえず。風霜に苦しみ、食に乏しく、せ衰うるをあわれみ、ある修行者短冊を書き、鳥の頸に付くるに、たちまち目開く、その歌は「には鳥のなくねを神の聞きながら心強くも日を見せぬかな」とある。

     耶蘇教国にもややこの類の話がスペインにある。昔青年あり老父母とサンチアゴ・デ・コンポステラへ巡礼に出た。サンチアゴ(英語でセント・ジェームス、仏語でサン・ジャク)大尊者はキリストの大弟子中、ペテロにいだ勢力あり。その弟、ジョアンとともにキリストの雷子と呼ばる。のち殉教に臨みこれを訴えし者、その為人ひととなりに感動され、たちまちわれもまたキリスト教徒なりと自白し、伴い行きて刑に就く。途上尊者に向い罪を謝し、共に斬首された。

    この尊者かつてスペインに宣教したてふ旧伝あって、八三五年にイリアの僧正テオドミル、奇態な星に導かれてその遺体を見出してより、そこをカンポ・ステラ(星の原)、それが転じてコンポステラと呼ばれたという。コンポステラの伽藍がらんに尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜至って、押すな突くなのにぎわはげしく、欧州第一の参詣場たり。因ってスペイン人は今も銀河あまのがわをエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。これ『塩尻』巻四六に、中古吉野初瀬もうで衰えて熊野参り繁昌し、王公已下いか道者の往来絶えず、したがってありが一道を行きてやまざるを熊野参りに比したとあり。

    今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、昔熊野参り引きも切らざりし事、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく銀河中の星の数、言語に絶して夥しきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。そのサンチアゴ・デ・コンポステラへ老父母と伴れて参る一青年が、途上サンドミンゴ・デラ・カルザダで一泊すると、宿主の娘が、一と目三井寺こがるる胸をぬしは察してくれの鐘と、そのねやに忍んで打ち口説くどけど聞き入れざるを恨み、青年の袋の内へ銀製の名器を入れ置き、彼わが家宝を盗んだと訴え、青年捕縛されて串刺くしざしに処せられた。

    双親老いて若い子の冤刑えんけいに逢い、最も悲しい悲しさに涙の絶え間なしといえども、さてあるべきにあらざれば志すサンチアゴ詣でを済まし、三人伴れて出た故郷へ二人で帰る力なさ、せめて今一度亡児の跡を見収めにとサンドミンゴに立ち寄ると、確かに刑死を見届けたその子が息災で生きいた。これ全くサンチアゴ大尊者の霊験、世は澆季ぎょうきに及ぶといえどもと、お定まりの文句で衆人驚嘆せざるなし。所の監督食事中この報に接し、更に信ぜず。確かに死んだあの青年が活き居るなら、ここにある鶏の焼き鳥も動き出すはずと、言いおわらざるに、その鶏たちまち羽生え時を作り、皿より飛び出でげ去った。やがて宿主の娘は刑せられ、この霊験の故に鶏を神使とあがめ、サンドミンゴの家々今に鶏毛もて飾らるという事じゃ(グベルナチスの『動物譚原』二巻二八三頁。参取。『大英百科全書』一五巻一三五頁。二四巻一九二頁)。

     サウシーの『随得手録』三輯記する所はやや異なるなり。いわくサンドミンゴ・デラ・カルザダで一女巡礼男に据え膳を拒まれた意趣返しに、その手荷物中に銀の什器じゅうきを入れ窃盗と誣告ぶこくす。その手荷物を検するに果して銀器あり。因って絞殺に処せられ、屍を絞架上に釣り下げ置かる。かの男の父、その子の成り行きを知らず、商いしてここへ来ると、絞台上から子が父を呼び留め、仔細を語り、直ちにその冤を奉行に報ぜしむ。奉行ちょうど膳に向い、鶏、一番ひとつがいを味わわんとするところで、この鶏復活したらそんな話も信ぜられようと言うや否や、鶏たちまち羽毛を生じて起ち上った。大騒ぎとなってかの男を絞架より卸したとあれど、そのしまいは記されず。ただしその絞架を寺の上に据え、その時復活した白い雌雄の鶏を祭壇の側にやしのうたが、数百年生きていたと。サウシーの『コンポステラ巡礼物語』はこれを敷衍ふえんしたものだ。くだんのサンチアゴ大尊者は、スペイン国の守護尊として特に尊ばれ、クラヴィホその他の戦場にしばしば現われてその軍を助けたという。

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    「鶏に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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