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カンポステラに詣で、これを拝する者は、皆杓子貝を佩ぶ。その事日本の巡礼輩が杓子貝を帯ぶるに合うとは、多賀や宮島に詣る者、杓子を求め帰るを誤聞したものか。英国にも杓子貝を紋とする貴族二十五家まであるは、昔カンポステラ巡礼の盛大なりしを忍ばせる。
昔この尊者の遺体を、大理石作りの船でエルサレムよりスペインへ渡す。ポルトガルの一武士の乗馬これを見、驚いて海に入ったのを救い上げて見ると、その武士の衣裳全く杓子貝に付き覆われいた。霊験記念のためこの介を、この尊者の標章とする由。英国ではこの尊者の忌日、七月二十五日に牡蠣を食えば年中金乏しからずとて、価を吝まずこの日売り初めの牡蠣を食い、牡蠣料理店大いに忙し。店に捨てた多くの空殻を集めて小児が積み上げ、その上に蝋燭を点し、行人に一銭を乞いてその料とす。定めて杓子貝に近いもの故だろう(チャンバースの『ブック・オヴ・デイス』二巻一二二頁。ハズリット『諸信および俚伝』二巻三四四頁)。
鶏に係わる因果譚や報応譚は極めて多い。今ただ二、三を掲ぐ。『新著聞集』酬恩篇に、相馬家中の富田作兵衛二階に仮寝した夢に、美女来って只今我殺さるるを助けたまわば、末々御守りとも成らんという。起きて二階を下り見れば、傍輩ども牝鶏を殺す所なり。只今かかる夢を見しこの鳥、我にと、強いて乞い受け、日比谷の神明に放つ。殿の母公聞きて優しき事と、作兵衛に樽肴を賜わる。その後別の奉公の品もなきに、二百五十石新恩を拝領せしは、寛文中の事とあり。またその殃禍篇に、美濃の御嶽村の土屋某、日来好んで鶏卵を食いしが、いつしか頭ことごとく禿げて、後鶏の産毛一面に生じたと載す。
支那でも周の武帝鶏卵を好き食い、抜彪なる者、御食を進め寵せらる。隋朝起ってなお文帝に事え食を進む。この人死後三日に蘇り、文帝に申せしは、死して冥府に至ると、冥府の王汝武帝に進めし白団いくばくぞと問う。彪、何の事か解せず。傍の人、白団とは鶏卵じゃと教えたので、武帝が食うた卵の数は知れぬと答う。しからば帝食うただけの卵を出すべしとて、牛頭人身の獄卒して、鉄床上に臥したる帝を鉄梁もて圧えしむるに、両肩裂けて十余石ばかりの卵こぼれ出づ。帝、彪に向い、汝娑婆に還って大隋天子に告げ、我がこの苦を免れしめよと言うたと。文帝、すなわち天下に勅し、毎人一銭を出して武帝の追福を修めたそうだ(『法苑珠林』九四)。
こんな詰まらぬ法螺談も、盗跖は飴を以て鑰を開くの例で、随分有益な参考になるというのは、昨今中央政府の遣り方の無鉄砲に倣い、府県争うて無用の事業を起し、無用の官吏を置くに随い、遊興税から庭園税、それから何々と、税目日に新たなるを加うる様子だが、ややもすれば名は多少違いながら、実は同じ物から、二重三重取りになるから、色々と抗議が出る。そこで余は隋帝の故智に倣い、秀吉とか家康とか種々雑多の人物が国家のために殺生した業報で、地獄に落ちおるのを救うためと称して、毎度一人一銭ずつの追福税を厳課し、出さぬ奴の先霊もたちまち地獄へ落ちると脅したら、何がさて大本教を信ぜぬと目が潰れるなど信ずる愚民の多い世の中、一廉の実入りを収め得るに相違ない。
末広一雄君の『人生百不思議』に曰く、日本人は西洋人と異なり、神を濫造し、また黜陟変更すと。既に先年合祀を強行して、いわゆる基本財産の多寡を標準とし、賄贈請託を魂胆とし、邦家発達の次第を攷うるに大必要なる古社を滅却し、一夜造りの淫祠を昇格し、その余弊今に除かれず、大いに人心蕩乱、気風壊敗を致すの本となった。しかし毒食らわば皿までじゃ。むしろその事、葬式、問い弔いを官営として坊主どもを乾し上げ、また人ごとに一銭の追福税を課し、小野篁などこの世と地獄を懸け持ちで勤務した例もあり、せせこましい官吏どもに正六位の勲百等のと虚号をやったって何の役に立たず、恐敬もされぬから、大抵人民を苦しめた上は神をすら濫造黜陟する御威勢で、それぞれ地獄の官職に栄転させ、中国で貨幣を画き焼いて冥府へ届くるごとく、附け木へ六道銭を描いて月給に遣わすべしだ。
それから今一つよい税源は、余が大正二年八月十四日の『不二新聞』へ書いた通り十四世紀のエジプト王ナーシルは、難渋な財政を救うべく、毎に女官をして高位の婦女の隠事を検せしめ、不貞税というやつを重く取り立てた。同世紀に文化を誇った仏国にも、ロア・デ・リボー(淫猥王)わが邦中古傀儡の長吏様の親方が所々にあって本夫外の男と親しむ女人より金五片ずつの税を徴した(ミュアーの『埃及奴隷王朝史』八三頁、ジュフールの『売靨史』四巻二四頁)。現今わが邦男女不貞の行い夥しく、生温い訓誡や、説法ではやむべくもあらざれば、すべからくこれに禁止税を掛くるべく、うるさく附け纒われて程の知れぬ口留め料を警官や新聞に取らるるより、一と思いに取ってくださる、御国のためだと思うてすれば、天井で鼠が忠と鳴くと、鼠鳴きして悦び合い、密会税何回分と纒めて前以て払い済ます事疑いなし。これほど気の利いた社会政策はちょっとなかろう。
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