(その3)
東洋でも西洋でも古来兎に関し随分間違った事を信じた。まず『本草綱目』に『礼記』に兎を明※[#「目+示」、97-8]といったはその目瞬かずに瞭然たればなりとあるは事実だが兎に脾臓なしとあるは実際どうだか。また尻に九孔ありと珍しそうに書きあるが他の物の尻には何つ孔あるのか、随分種々と物を調べた予も尻の孔の数まで行き届かなんだ。ただし陳蔵器の説に〈兎の尻に孔あり、子口より出づ、故に妊婦これを忌む、独り唇欠くためにあらざるなり〉、ただ尻に孔あるばかりでは珍しゅうないがこれは兎の肛門の辺に数穴あるを指したので予の近処の兎狩専門の人に聞くと兎は子を生むとたちまち自分の腹の毛を掻きむしりそれで子を被うと言った。牛が毛玉を吐く例などを比較してこの一事から子を吐くと言い出たのだろ。しかして支那の妊婦は兎を食うて産む子は痔持ちになったり毎度嘔吐いたりまた欠唇に生まれ付くと信じたのだろう。『雅』に咀嚼するものは九竅にして胎生するに独り兎は雌雄とも八竅にして吐生すと見え、『博物志』には〈兎月を望んで孕み、口中より子を吐く、故にこれを
兎という、兎は吐なり〉と出づ。雌雄ともに八竅とは鳥類同様生殖と排穢の両機が一穴に兼備され居るちゅう事で兎の陰具は平生ちょっと外へ見えぬからいい出したらしい、王充の『論衡』に兎の雌は雄の毫を舐めて孕むとある、『楚辞』に顧兎とあるは注に顧兎月の腹にあるを天下の兎が望み見て気を感じて孕むと見ゆ、従って仲秋月の明暗を見て兎生まるる多少を知るなど説き出した。わが邦でも昔は兎を八竅と見た物か、従来兎を鳥類と見做し、獣肉を忌む神にも供えまた家内で食うも忌まず、一疋二疋と数えず一羽二羽と呼んだ由、古ギリシアローマの学者またユダヤの学僧いずれも兎を両性を兼ねたものとしてしばしばこれを淫穢不浄の標識とした(ブラウン『俗説弁惑』三巻十七章)。
ブラウンいわくこれは兎の雌雄ともに陰具の傍に排泄物を出す特別の腺その状睾丸ごときあり、また肛門の辺に前に述べた数孔あり、何がな珍説を出さんとする輩これを見て兎の雌に睾丸あり雄に牝戸ありとしたらしい。しかのみならず、兎の陰部後に向い小便を後へ放つもこの誤説の原だったろうと。一七七二年版コルネリウス・ド・バウの『亜米利加土人の研究』巻二、頁九七には兎にも熟兎にも雌の吉舌非常に長く陽物に酷似せるもの少なからず、これより兎は半男女といい出したと出づ。
支那にも似た事ありて『南山経』や『列子』に〈類自ら牝牡を為す、食う者妬まず〉、類は『本草綱目』に霊狸の事とす。『嬉遊笑覧』九にいわく「『談往』に馮相詮という少年の事をいって『異物志』にいわく霊狸一体自ら陰陽を為す、故に能く人に媚ぶ皆天地不正の気云々」。これは霊狸の陰辺に霊狸香を排泄する腺孔あるを見て牡の体に牝を兼ぬると謬ったので古来斑狼が半男女だという説盛んに欧州やアフリカに行われたのも同じ事由と知らる。
またブラウンは兎が既に孕んだ上へまた交会して孕み得る特質あるをその婬獣の名を博した一理由と説いたが、この事は兎が殖えやすい訳としてアリストテレスやヘロドツスやプリニウスが夙く述べた。それから『綱目』に〈『主物簿』いう孕環の兎は左腋に懐く毛に文采あり、百五十年に至りて、環脳に転ず、能く形を隠すなり、王相の『雅述』にいわく兎は潦を以て鼈と為り鼈は旱を以て兎と為る、惑明らかならざればすなわち雉兎を生む〉と奇い説を引き居る。
『竹生島』の謡曲に緑樹影沈んで魚樹に登る景色あり月海上に浮かんでは兎も波を走るか面白の島の景色やとあるは『南畝莠言』上に拠ると建長寺僧自休が竹生島に題せる詩の五、六の句〈樹影沈んで魚樹に上り、清波月落ちて兎流れに奔る〉とあるを作り替えたのだ。
予が見たところ兎を海へ追い込んだり急流に投げ込んだりすると直ぐに死んだので右の句はただ文飾語勢を主とした虚構と思っていたが、仏経に声聞を兎川を渡る時身全く水に泛ぶに比し、ウッドの『博物画譜』巻一に兎敵を避くるに智巧を極め、犬に嗅ぎ付けらるるを避けんとて流水や大湖に躍り入り長距離を泳いで遠方へ上陸し、また時として犬に追究されて海に入り奔波を避けずして妙に難を免るるある由記せるを見て、件の謡や詩の句はまるで無根でないと知った。
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「兎に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収