(兎と亀との話その1)
(付) 兎と亀との話
『太陽』雑誌の新年号へ「兎に関する民俗と伝説」という長篇を書いたがここには『太陽』へ出さなんだ事ばかり書く。
第一に小学児童が熟知った亀と兎の競争の話について述べよう、これは『イソップ物語』に出たものだ。イソップはギリシアの人で耶蘇紀元前五百六十年頃生きておった名高い教訓家だが、今世に伝われる『イソップ物語』は決してそんな古いものでなくずっと後の人がイソップに托けて書き集めたものという、しかし何に致せ西洋話本の親方としてその名声を争うものはない、「亀と兎の競争の話」はこの物語に出た諸話の中もっとも名高い物で根気能く辛抱して励めば非常の困難をも凌いで事業を成就し得る事を示したものだから気力ある若い人々が世間へ出る始めにこの話を額の立て物と戴き真向に保持して進撃すべしと西洋でいう。
この話に種々の異態がある、しかし普通英国等で持て囃すのはこうである。いわく兎が亀に会うて自分の足疾きに誇り亀の歩遅きを嘲ると亀対えてしからば汝と競争するとして里程は五里賭は五ポンドと定めよう、さてそこに聞いている狐を審判役としようと言うと兎が承知した。因って双方走り出したが兎はもとより捷疾だから亀が見えぬほど遠く駈け抜けた、ところで少し疲れたらしい、因って路傍の羊歯叢中に坐ってうとうとと眠る、己れの耳が長いから亀がゴトゴト通る音を聞くが最期たちまち跳ね起きてまた走り抜きやるつもりだった、しかるに余り侮り過ぎて眠り過ぎた間に亀は遅いものの一心不乱に歩み走ってとうとう目的点へ着いたので兎の眼が覚めた時はすでに敗けいた。
欧州外にもこれに似た話があるが件の話と異なり、辛抱の力で遅い奴が疾い奴に勝ったのでなくて専ら智力の働きで勝ったとしている。サー・アレキサンダー・ブルドンがフィジー島人から聴き取った話に曰く、鶴と蟹とがどちらが捷いと相論じた、蟹が言うには何と鶴が言っても己が捷い、すなわち己が浜を伝うて向うに達する間に鶴に今相論じいる場所から真直に飛んで向うへやっと達し得ると言った、鶴しからば競争を試って見ようと言うと蟹が応じたので二人一斉に一、二、三と言い畢って鶴が一目散に飛び出す、蟹は徐に穴に入って己の眷属が到る処充満しいるから鶴はそれを己一人と惟うて騙される事と笑いいる、鶴が飛んでいる中何処へ往っても蟹の穴があるのを見て、さては己より前に蟹がそこへ来て早穴を掘って住んでいやがるかと不審してそこへ下りて耳を穴に当て聴いて見るとブツブツと蟹の沫吹く音がする、また飛び上がって少し前へ往くとまた蟹の穴が見えるのでまた下りて聴くと沫の音する、早蟹がここまで来て穴を掘っておると思うて何度も何度も飛んでは聴き聴いてはまた飛び上がり、余り疲れてついに海に落ちて鶴は死んでしまった。また一つフィジー島で話すは鶴と蝶との競争で蝶が鶴に向い何とトンガ島まで飛んで見よ、かの島には汝の大好物の蝦が多いというに、鶴これに応じて海上を飛び行くその背へちょっと鶴が気付かぬように蝶が留まって鶴の飛ぶに任す、さて鶴が些休息しようとしだすと蝶はたちまちその背を離れ予の方が捷いと言いながら前へと飛んで行く、小癪なりと鶴が飛び出して苦もなく蝶を追い過すと蝶また鶴の背に留まり、鶴が休もうとするとまた蝶が嘲弄しながら飛び出す、このように蝶は鶴の背に留まり通しで鶴は少しも休む事ならずついに労れ死んでしもうた。
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「兎に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収