(その9)
熊楠謹んで攷うるに、古エジプト人は日神ウンを兎頭人身とす、これ太陽晨に天に昇るを兎の蹶起するに比したんじゃ(バッジ『埃及諸神譜』巻一)。兎を月気とのみ心得た東洋人には変な事だ。コックス説に古アリア人の神誌に、春季の太陽を紅また金色の卵と見立て、後キリスト教興るにびこれを復活の印相としたという。
しからば古欧州にもエジプト同前日を兎と見立てた所もあって卵と見立てたのと合併して、只今復活節にいわゆる兎の卵を贈りまた卵焼の兎菓子を作る事となったのであろう。けだし冬以来勢い微かなりし太陽が春季に至ってまた熾んなるを表示したのだ。
老友マクマイケル言いしはドイツでは村人この日兎を捕え殺して公宴を張る所多しと。大抵族霊たる動物を忌んで食わぬが通則だが、南洋島民中に烏賊を族霊としてこれを食うを可しとするのもある(『大英類典』第九版トテムの条)。ドイツ人がもと族霊たりし兎を殺し食うも同例で、タスマニア人が老親を絞殺して食いしごとく身内の肉を余所の物に做了うは惜しいという理由から出たのだろ。
サウシの書(前出)に若いポルトガル人が群狼に襲われ樹上に登って害を免がれ後日の記念にその樹を伐り倒し株ばかり残して謝意を標した。カーナーヴォン卿その株を睹由来を聴いて、英人なら謝恩のためこの樹を保存すべきに葡人はこれを伐った、所異れば品異るも甚だし、以後ここの人がどんな難に遇うを見ても我は救わじ、救うて御礼に殺されちゃ詰まらぬと評したとある。
先祖来護りくれた族霊を殺し食うてその祭を済ますドイツ人の所行これに同じ。しかし日本人も決して高くドイツ人を笑い得ず、予が報国の微衷もて永々紀州のこの田舎で非常の不便を忍び身命を賭して生物調査を為し、十四年一日のごとく私財を蕩尽して遣って居るに、上に述べた川村前知事ごとき渝誓してまで侮辱を加え来る者がすこぶる少なからぬからというて置く。
民俗学者の説に諸国で穀を刈る時少々刈らずに残すはもと地を崇めしより起る。例せばドイツで穀母、大母、麦新婦、燕麦新婦、英国で収穫女王、収穫貴婦人など称し、刈り残した稈を獣形に作りもしくは獣の木像で飾る、これ穀精を標すのでその獣形種々あるが、欧州諸邦に兎に作るが多い、その理由はフレザーの大著『金椏篇』に譲り、ここにはただこんな事があると述べるまでだ。グベルナチス説に月女神ルチナは兎を使い出産を守る。
パウサニアスに月女神浪人都を立てんとする者に教え兎が逃げ込む林中に創立せしめた譚を載す。インドにもクリアン・チャンド王狩りすると兎一疋林に入りて虎と化けた、「兎ほど侮りゃ虎ほど強い」という吉瑞と判じてその地にアルモウー城を建てたという。英国で少女が毎月朔日最初に言うとて熟兎と高く呼べばその月中幸運を享く、烟突の下から呼び上ぐれば効験最も著しく好き贈品随って来るとか(一九〇九年発行『随筆問答雑誌』十輯十一巻)。
『古事記』に大国主その兄弟に苦しめられた兎を救い吉報を得る事あり、これらは兎を吉祥とした例だが兎を悪兆とする例も多い。それは前述通りこの獣半男女また淫乱故とも、至って怯懦故とも(アボット、上出)、またこれを族霊として尊ぶ民に凶事を知らさんとて現わるる故(ゴム、上出)ともいう。
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「兎に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収