馬に関する民俗と伝説(その52)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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     国文の典型たる『土佐日記』に、筆者貫之朝臣の一行が土佐を出てより海上の斎忌タブー厳しく慎みおりしに、日数経てやっと室津むろのつに着き、「女これかれゆあみなどせむとて、あたりの宜しき所に下りて往く云々、何の葦影にことづけて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、心にもあらぬはぎにあげて見せける」。

    この文を従前難解としたが、谷川士清たにかわことすがの『鋸屑譚おがくずばなし』に始めてこれをいた。ホヤは仙台等の海に多く、科学上魚類に近い物ながら、外見海参なまこに酷似す。イズシは貽貝いがいすしで、南部の方言ヒメガイ(『松屋筆記』百五巻)、またニタガイ(『本草啓蒙』四二)、漢名東海夫人、皆その形に因った名で、あわびを同様に見立つる事、喜多村信節きたむらのぶよの『※(「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63)いんてい雑録』にも見える。

    次に岸本由豆流きしもとゆずるくだんの文の「何の葦影に託けて」の何は河の誤写と発明したので、いよいよ意味が明らかになった。全く貫之朝臣が男もすなる日記てふ物を女もして見せるとて、始終女の心になりて可笑味おかしみべたもの故、ここも水わたるためはぎ高く掲げしかば、心にもあらで、ホヤの妻ともいうべき貽貝や鰒様の姿を、葦の影の間に映し見せたてふ、女相応の滑稽と判った(『しりうこと』第五)。

    また昔子を欲する邦人が渇望した※(「くさかんむり/從」、第4水準2-86-64)にくじゅうようは、『五雑俎』十一に、群馬の〈精滴地に入りて生ず、皮松鱗のごとし、その形柔潤肉のごとし、云々、この物一たび陰気を得ば、いよいよ壮盛加わる、これを採り薬に入れ、あるいは粥を作りこれを啖えば、人をして子あらしむるという〉、また健補の功それよりも百倍すてふ鎖陽は、野馬あるいは蛟竜遺精より生じ、同前の伝説ある由『本草綱目』にづ。肉※(「くさかんむり/從」、第4水準2-86-64)蓉は邦産なく従来富士日光諸山のサムタケを当て来り、金精こんせい峠の金精神がこれに依って子を賜うなど信じ、※(「くさかんむり/從」、第4水準2-86-64)蓉の二字を略して御肉と尊称した(『本草図譜』一、坂本浩然の『菌譜』二等に図あり)。

    真の肉※(「くさかんむり/從」、第4水準2-86-64)蓉は御肉と同じく列当はまうつぼ科に属すれど別物で、学名をフェリベア・サルサと呼び、西シベリア、蒙古、ズンガリアの産、鎖陽は蛇菰つちとりもち科のシノモリウム・コクネシウムで蒙古沙漠に生ず(ブレットシュナイデル『支那植物学編ボタニコン・シニクム』三)。

    いずれも、生態が菌類によく似た密生草で、野馬群住する地に産するから馬精より生ずといわれ、菌と等しく発生が甚だにわかだから無夫之婦むふのふなどに名を立てられたのだ。

     予多くの支那旅行家より聞いたは、支那内地で金儲けは媚薬とか強壮剤とかに限る、現に日本始め南洋諸地からその種が絶えるまで採って支那へ売り込む海参なまこ東海夫人いかあわびは、彼らが人間第一の義務と心得た嗣子を生ましむる事受け合いてふ霊物と確信され、さてこそかくまで重大な貿易品となったのだと。

    しかしこの点について、邦人が支那を笑う事もならぬ。幕政中年々莫大の金を外国へ渡して買うた薬品は、済生上やむをえぬ事と言うたものの、その大部分は、当時永続の太平に慣れて放逸縦行した無数の人間が、補腎健春の妙薬としてしきりに黄白を希覯の曖昧あいまい品に投じたのである。例せば支那から多量に年々輸入した竜眼肉てふ果物は、温補壮陽の妙薬として常住坐臥食い通した貴族富人が多かった。

    しかるに維新後、漢医法すたれて一向この果売れず、かびだらけになって詮方なきところから、大阪でも東京でも辻商人にその効能を面白く弁じさせ、二束三文で売らせてもさっぱりさばけなんだと聞く。

    ちょうど同時に、大阪の鮫皮商が、廃刀令出て鮫皮が塵埃同然の下値となり、やむをえず高価絶佳の鮫皮を酢でただらかして壁を塗る料にしてった事もあり。さしも仙薬や宝玉同然に尊ばれた物も一朝時世の変で糞土よりも値が下がる事、かくのごときものあった。

    往時日本で刀剣を尊んだに付け、鮫皮を鑑賞する事夥しく、『鮫皮精義』等の専門書もあり、支那、ジャバ、前後インド諸国の産を夥しく輸入したが、予先年取り調べてペルシア海の鮫皮がもっとも日本で尊ばれたと知った。而してタヴェルニエーの『波斯紀行ヴォヤーシュ・ド・ペルス』四巻一章に、十七世紀にペルシア人欧州と琵牛ペグウの銅を重んじたが最も日本の銅を賞めたとあれば、日本の銅とペルシアの鮫皮と直接にえたらかったのだが、当時両国間の通商開けず、空しく中に立った蘭人に巨利をしてやられたのは残念でならぬ。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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