松屋筆記(まつやひっき)
『松屋筆記』は、江戸後期の国学者・小山田与清(おやまだ ともきよ、1783年〜1847年)が著した随筆。120巻。
『松屋筆記』は、江戸後期の国学者・小山田与清(おやまだ ともきよ、1783年〜1847年)が著した随筆。120巻。
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その30)
こんな事から敷衍した物か、蛇の尻に入るは多くは烏蛇とて小さくて黒色なり。好んで人の尻穴に入るにその人さらに覚えずとぞ。この蛇穴に少しばかり首をさし入れたらんには、いかに引き出さんとすれども出る事なし。
南方熊楠の随筆:十二支考 鶏に関する伝説(その32)
『松屋筆記』五に浅草観音に鶏を納むるに日を経れば雌鶏必ず雄に変ず、仏力にてかくのごとしとあるが、霊境で交合したり雛を生み、ピーピー走り廻られては迷惑故、坊主が
南方熊楠の随筆:剃髪した親子、盛長する石、他(現代語訳)
前日『太陽』へ投稿した拙文、『西遊記』、クスタナ国の金鼠王、鼠を使い敵軍の兵具をかみ全敗させたことを引用した次に『松屋筆記』巻八一に、この故事に並べて、『吾妻鏡』巻一、治承4年8月25日の条を引用した。その大意は、平家方俣野景久が駿河国目代橘遠茂と兵を合わせ、甲斐源氏を襲おうと、昨夜、富士の北麓で宿っていたところ、景久並びに従者が帯した百余張の弓弦が鼠に喰い切られ、思慮を失う。安田、工藤らがこれを討ったが、弓弦が絶たれて防戦することができず、景久は打ち負けて逐電した、という。
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